
(耕論)やまゆり園事件 10年経って
朝日新聞 2026年7月25日
重い障害がある人を標的にした事件は、社会に巣くう差別意識をあらわにした。19人の命が奪われた相模原市の津久井やまゆり園事件(以下、事件)から26日で10年。社会は変われたのか。
広がる排除あらゆる人に
石地かおるさん(自立生活センター「リングリング」スタッフ)
あれだけのことが起きたのに、なぜ「社会をよくしていこう」という方に向かわなかったのか。むしろ排除の対象が広がり、社会はますます悪くなっていると感じている。
幼い頃から「あなたを殺して私も死のうと思った」と自分の存在が歓迎されなかった話を聞かされてきた。小学校に上がる前には「障害者はお荷物だ」というまなざしが世の中にあることに気付いていた。事件は、多くの人が心の中に持っているものを一人の人間が実行したんだと感じた。
事件後は多くの障害者が、外出をためらうほど怖がっていた。そんな障害者の恐怖がどれだけ共感されていただろうか。亡くなった19人は匿名にされたうえ、事件後早い時期から、介護現場の労働環境や親の負担をめぐる報道が目立つようになった。マジョリティーの関心が優先された。
もし19人の健常者が殺されたら、きっと社会全体で悼むだろう。総理大臣が「絶対に許さない」と声明を出したり現場で献花するかもしれない。やまゆり事件ではなかったことだ。事件は健常者と障害者の間の大きな隔たりをあらわにした。
でも、今の社会のありようで排除されるのは障害者だけではない。「外国人は優遇されている」「終末期の延命措置は全額自己負担を」などの訴えがある。「生産性がない」「税金を食いつぶす」と障害者が言われ続けてきたことと地続きだ。そんな考え方が当たり前になれば、次に矛先が向くのは貧困の人かもしれないし、勉強ができない人かもしれない。
あらゆる人がいつ排除されるかわからない社会で、障害者は生き延びてきた。7月26日「やまゆり10年」には事件に抗議し、障害者が生きている姿を見せる街頭アクションを開く。
自他の傷 対話で気づいて
坂上 香さん(ドキュメンタリー映画監督)
事件はすでに風化しつつある。死刑判決が確定してからは加速度的だ。植松死刑囚は自分を深く見つめる機会も、他者を思う気付きも得られないまま。一方社会は「あんな事件を起こしたやつは死んで当然」と思考停止し、外国人差別に代表されるような排除の傾向がより露骨になっている。
この10年で浮き彫りになったのは、日本社会の圧倒的な「対話」の不在だ。
私は30年前、暴力の連鎖を止める取り組みを取材する中で「回復共同体(TC)」というプログラムに出会った。受刑者が語り合うなかで、自らが抱える痛みに気づき、他者に与えた被害を自覚していく。日本で唯一TCを導入する島根県の刑務所に通い、ドキュメンタリー「プリズン・サークル」を制作した。観客は「どうすれば受刑者たちのように語れるのか」と聞いてくる。そんな対話の場は刑務所の外にもない。
植松死刑囚のほかにも、自分を秩序を守る正しい側に位置づける暴力事件を起こした人はいる。何を恐れ、何を守りたいのか、そんな対話ができず、自分の考えに固執する孤独な姿が浮かぶ。
一定の標準から外れると排除される学校教育や就職活動が、若者たちに深い傷を負わせている。
今からでも、それぞれが対話の場を作ったり参加したりすることが必要だ。自他に向き合う対話をあきらめないことだ。
「生産性」問う歴史 知ろう
藤井 渉さん(社会福祉学研究者)
事件があらわにしたことの一つは「社会の役に立つか否か」で選別するという人間観が、社会で支配的だという現実だ。この考え方は戦時中の理論そのものだ。障害者への差別は戦時中もあったが、明確な線引きがあった。傷痍軍人には手厚い支援があった一方で、それ以外の障害者が「穀潰し」「非国民」とされたのだ。「国家の役に立ったか」がポイントだった。
戦後は「社会の役に立たない障害者はコストだ」という考えとして生き続けた。旧優生保護法が生まれ、その後高度成長期と続いた。「生産性」が重視され、序列化が進んだ。障害者は非常に生きづらい時代だった。
「優性思想はよくない」ということが当たり前になった今の社会でも、低流は変わらない。施設の入所条件に不妊手術を要求したり、学校でも職場でも障害者と健常者が安易に分けられていたりと、根本にある障害者へのまなざしは変わっていない。政策や人々の意識によって脈々と作り上げられてきたものが事件とつながっている。
一方で、この10年で障害者に関する施策は充実した。その成果も当事者や親、関わる人たちが何十年も前から連帯し、差別に対抗する論陣を張り、法整備を訴えてきたこととつながっている。
大事なのはこうした歴史を知ることだ。なぜ「生産性が大事」とか「障害者はお荷物だ」と思わされているのか。歴史を振り返れば、それは政策や制度、その中で生きる一人ひとりが作り出した色眼鏡にすぎないとわかるはずだ。その気づきをだれかに話したり、共感する人に出会ったりすることで、新たな連帯が生まれるかもしれない。





