お勧め図書

『ボクは吃音ドクターです』 菊池良和 著

毎日新聞社、2011年

 吃音の人は世界中どこでも、100人に一人いるといわれている。その歴史は長いが、原因や治療法などは未だ解明されていない。菊池さんは自分を苦しめていることばの問題を自分で研究しようと、医者になった。そして、その通り現在吃音研究に取り組んでいる。本書は、そんな菊池さんの自伝であり、現在の吃音研究最前線の紹介でもある。また、同じ悩みを持つ本人や周囲の人への手引き書でもある。

 わたしがびっくりしたのは、菊池さんが幼稚園のころからことばがスムーズ出てこないことに気が付き、悩んでいたし、親御さんに吃音相談所のようなところに連れて行ってもらったこともあるにもかかわらず、「吃音」という名前を大学生になって初めて、本で知った、ということだ。もうひとつ、大学生の時にお母さんから、「あんた、まだどもりがあったの?すっかり治っていたと思っていたのに!」と言われた、というエピソードにも驚いた。吃音の人が大きくなるにつれて、ことばを言い換えたり、出やすくするために様々な工夫をすることがある、ということはよく知られている。それにしても、である。本人がそれほどに周囲に気づかれたくない、と思っているということだろう。そんな菊池さんが、本書あとがきでは、「吃音のある人生、楽しいですよ」とまで書いている。どうしたらそう思えるのだろう?という方は、本書を読んでみてください。

 菊池さんは自分のどもる状態は「吃音」というものであることを知っていると自分の思いも違ったのではないかという。私たち言語聴覚士も吃音の相談を受ける。幼児期や学童前期には、本人に「どもる」とか「吃音」ということばを使わないことがあるが、ある程度の年齢になってくると、むしろそう伝えることで本人が納得できたり、わかってもらえたと思えることもあるのだなと思った。

また、「どもる」という言葉も差別用語として使われなくなったが、むしろもっとメディアが使ってくれると、もっと多くの人に分かってもらえるのではないかと書いている。「あなたはどもりだね」と「どもり」という言葉で人格すべてを指されるような場合は不快だが、症状が出たときに「どもりがあるね」と言われるのは不快ではないというのだ。「○さんは△障害者」と言うのと、「△障害がある○さん」と言うのとでは、言う人の障害観の違いが感じられるということだろう。

 菊池さんは、30歳の時に脳出血も経験されている。いくらか後遺症もあるようだが、耳鼻咽喉科の医師として復帰され、吃音研究を続けられている。そんな菊池さんの最終目標は、「もし私の息子が吃音であっても大丈夫な社会に変えたい。吃音のある人が“どもっていてもいいんだよ”と実感できる社会にしていきたい」ということだ、と結んである。わたしたちCANも、言語や聴覚に障害があっても大丈夫、という社会にしていきたいと考えて活動している。これからもそうありたいと思いを新たにした。(CAN理事 山本博香)