

御社の「お」が出てこない₍上₎ 詰まる言葉、沈黙 直面した終活の壁
朝日新聞 2025年3月18日
専門家によると、吃音は言語発達の盛んな2~4歳ごろに発症することが多く、次第に治る場合が多いが、大人にも100人に1人みられる。幼いころから吃音と向き合ってきた大学院生の前に立ちはだかった「面接の壁」、試行錯誤しながら打開策を探った経過をたどる。
2023年12月、時元康貴さん₍27₎は初めての就職面接に臨んでいた。画面の向こうに担当の男性が現れた。「……」「……わたしは」、言葉が出るまでに5秒ほど。吃音の「難発」の症状だ。その後も、文節ごとに数秒の間が空いた。母音が特に言いづらい。御社の「お」を避けるため「○○₍会社名₎さん」と言い換えた。失礼と思われたか気になった。翌朝、選考不通過の通知が届いた。
時元さんは3歳ごろから吃音の症状がある。はじめは「ぼぼぼくは」と音が連続する「連発」だったが、やがてなかなか出ない「難発」に変わった。母に連れられ「ことばの教室」に行っていた。中学では授業中の発言が挙手制に変わり、手を挙げずに過ごした。高校では授業の発表もストレスの一部で、学校から足が遠のき2年進級前には行かなくなった。幸い、近所に高校中退者が多く通う塾があった。物理が面白くなり、21歳で国立大学の工学部に進学した。
新入生の歓迎シーズン、吃音者の集い「言友会」に顔を出してみた。いろいろな職業の仲間がいて、楽しげに近況や身の上を話す姿に勇気をもらえた。メンバーが、吃音によって起きる困り事に対し、学校や職場で「合理的配慮」を受けられると教えてくれた。夏、診断書を手に大学に申請した。出欠は口頭でなく目視や出席カードで確認して、語学の授業では無理に発言させないで、など要望を伝えた。
工学部での勉強は性に合った。半導体に興味が出て大学院に進んだ。学会発表では、スライドで説明を補足するやり方を工夫し、奨励賞を受けた。将来はものづくりに関わりたいが、口頭でのコミュニケーションを求められる職場が多いことを実感し、就職には大きな壁があることも知っていた。
アルバイトは「人と話さなくていいこと」を条件に選んだ。一番長く続いたのは、ラブホテルの清掃で、9か月だった。
修士1年の夏に参加したインターンでは、グループ作業で吃音が出、迷惑をかけたと感じて苦しかった。冬になり思い腰を上げた。1社目のエントリーシート(ES)に「逆境を乗り越えて自分の力で成し遂げた経験を教えてください」との設問があった。幼少期から吃音と向き合ってきたことを振り返った。人との関わりを避けていたが、大学入学を機に「自分を変えたい」と動き、学会発表にも挑んで結果を出したこと。「現在も治っていませんが、吃音に負けない人生を歩んでいます」。ただ、それを伝える面接で、かつてないほど言葉に詰まった。伝えたい研究成果を半分も言えなかった。積み上げたはずの自信が揺らいだ。