

(やまゆり園事件から8年:下)社会の「当たり前」、常に問い直して 藤原久美子さんに聞く
朝日新聞 2024年8月2日
「優性思想」に私たちはどう向き合えばいいのだろうか。「やまゆり園事件」は旧優生保護法に基づく強制不妊手術をめぐる問題と「地続き」だと指摘するDPI日本会議女性障害者ネットワーク代表の藤原久美子さん₍60₎に聞いた。
市民に根付いた「誤った善意」、旧法後も続いた優性思想、自分にないと言い切れぬ、だからこそ
事件が終わった気がしない。凶行に及んだ元職員の「障害者は不幸を作ることしかできない」という考えに同意する人、「障害者に子供を産ませると大変」という声、「地価が下がる」と障害者のグループホーム建設に反対する住民……。事件の根底にある優性思想は今も根強い。
強制不妊手術は戦後最大の人権侵害だ。旧法も、19人を殺害した元職員も、「優性思想」が根底にあるという点で地続きの問題だ。
わたしは視覚障害者で、自分に向けられた事件でもあった。わたしが40歳で妊娠した時のこと、母や医師から「あなたが苦労するから」と中絶を勧められた。兵庫県では旧法下の1966年から1974年、「不幸な子供の生まれない運動」が進められた。障害のある子や親はかわいそうという誤った善意が、自民の意識に根付いていったと思う。「公共の福祉」、つまり「みんなのため」として優性思想は正当化された。「やまゆり園事件」を起こした元職員も、不幸を作ることしかできない障碍者がいなくなれば、苦労する家族や生産性を重視する社会のためになる、みんなのために殺してあげた、と考えたのだと思う。
私が出産を反対されたのは障害者だから。当時、旧法が母体保護法に改正されて8年経っていたが、優性思想が現代も生きていることを示している。
1981年、17歳でⅠ型糖尿病を発症、34歳の時合併症で失明した。好きな本も読めなくなる、おしゃれもできなくなる、と絶望した。障害のある子はかわいそう、という教育を受けていたので、障害者になると想像しただけで怖かった。相手の母から結婚を反対された、偏見や差別の根深さを初めて知った。
優性思想を超えていくためには、「当たり前」になっていることについて、本当にそう?と常に自分に問い直すことだ。旧法は国の法律、まさか間違っているとは思わない。でも間違っていた。私も自分の中に優性思想がないとは言い切れない。学校では一番になることを目指す教育を受け、社会に出てからも仕事で競争させられてきた。常にこれはおかしいのではないかと自問自答し、目をそらさず優性思想と向き合うことが大切だと思う。