(やまゆり園事件から8年:上) 互いにありのまま、心地よい関係

2024/08/02

朝日新聞 2024年8月1日

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月26日、入所者19人の命が絶たれた事件から8年が経った。ともに生きるとは、そのために必要なことは――。同園を出て地域で一人暮らしをする重い知的障害と自閉症のある尾野一矢さん₍51)、介助者の大坪寧樹さん(56)を訪ねた。

尾野さんは8年前、凶行に及んだ元職員の植松死刑囚に腹や首などを刺され、生死の境をさまよった。今も傷跡が残る。

津久井やまゆり園での追悼式。かつての同園の職員や、事件後つながった人たちから声をかけられると、尾野さんは笑顔で応えた。だが、しばらくすると表情が曇り、見守る大坪さんの腕をつねり始めた。「問題」ととらえられがちな行動だが、大坪さんの見方は違う。「真剣な目を見てください。まだまだ向き合い方が足りないと訴えているようです」。事件後、同園に来るのは3回目。「心の傷は深いと思い知らされました」

尾野さんが施設を出たのは2020年8月。大坪さんはその2年前から、「地域での自立生活」を望む尾野さんの両親の意向を受け、施設に訪ねて、楽しいと思える時間を少しずつ増やしていった。地域での暮らしが始まり、障害福祉サービス「重度訪問介護」の介助者として尾野さんに寄り添ってきた。

命に優劣があるとする「優性思想」は簡単になくならない。でも、尾野さんの生きる姿に共鳴する人は増えている。大坪さん自身、尾野さんに救われたという。尾野さんに出会う2年ほど前、他害の激しい人にどう対応していいのかわからず、仕事に出られなくなるほど自信を失っていた。20代で介助の世界に入り、「脱施設」の運動をけん引してきた新田勲さんとともに、地域での「自立生活」を保障する制度作りにも取り組んできた大坪さんにとって、大きな挫折だった。

2018年8月、初めて同園の仮園舎で暮らす尾野さんを訪ね、昼ご飯を食べたときのこと、尾野さんはメロンを一切れ大坪さんの口に運び、笑顔で「また来る?」と言った。24年も暮らした施設の元職員に刺されるという恐怖を経験してもなお、人への信頼を失わない。ともに活動した新田さんが記した言葉「人間が好きという心で接していかない限り、ともに生きる社会なんてこの世に存在しません」と重なった。「当時の私を立ち直らせることができたのは、一矢さんしかいなかったと思います」

大坪さんは、「一矢さんとの関わりで、私が一矢さんに何かを生み出すことを求めることもなければ、一矢さんも何も期待していない。ありのままを肯定しあう関係、それがとても居心地がいいのです」と話す。