能登半島地震 開設進まぬ福祉避難所 被災者は
2024年1月16日
能登半島地震で、ケアが必要な被災者を受け入れるはずの「福祉避難所」が計画通りには開設できていない。福祉施設が損壊したり、介護を担う職員も被災したりしているためだ。高齢者や障害者が現地でどう過ごしているのかを紹介。
珠洲市のある3人家族は、80代の父親が脳梗塞を患って半身不随となり、寝たきりの状態。余震が来れば倒壊するかもしれない不安を抱えながら、停電が続く中で生活している。息子は、「身の安全を考えれば避難所がよいと思うが、排泄のことや尿のにおいもあるので難しい」と話した。
地震直後は300人以上が詰めかけた穴水町の避難所。一室の扉に「福祉避難所」と手書きした紙が貼られた。暖かで静かな室内には段ボールベッドが並び、心身に障害がある人や老老介護状態の人など約20人が過ごしていた。社会福祉協議会で災害支援活動をとりまとめる社会福祉士は「公的な設置が間に合わないので、地震翌日に作りました」と話した。
輪島市では、災害時には25の福祉施設などを「福祉避難所」とすると想定していたが、実際に開設できたのは発災翌日に2ヵ所だけだった。グループホームが運営する市役所内のカフェが仮の福祉避難所になった。カフェにも廊下にも一般の人が大勢避難していた。最初は毛布もない中で雑魚寝をしていたという。数日後に届いた段ボールで障害の特性や性別によって仕切りを作り、プライベートな空間もできた。「一般避難所では居づらいと訴えていた高齢の聴覚障害の男性も加わった。輪島市内ではまだ孤立する地区がある。上記カフェの代表は、孤立地区にある施設を訪れてニーズを聞き取り、DMATを先導して物資を届けることも行っている。
発災翌日から輪島市や穴水町に入り、避難所で暮らす人たちを支援している北陸学院大の田中純一教授(災害社会学)は、高齢者が冷たい床で寝るなど極限状態だったと振り返る。一部の避難所はその状態を脱しつつあるが、まだ震災関連死のリスクはあり、油断できないという。激甚災害では福祉避難所になるはずだった施設も被害を受け、職員も被災する。「高齢化が進む地域で大災害が起きれば、一般の避難所で様々な状態の被災者を受け入れていくしかないことが明らかになった」。一般の避難所も福祉的機能を備えることが必要だという。今後の課題として、初動の救援体制の整備▽被災地支援に経験とノウハウを持つ団体や専門家にできるだけ早く被災地に入ってもらう連携▽被災地以外に高齢者らを移送する際、コミュニティーが継続できる仕組みづくり、などを挙げる。