明日への歩み やまゆり園事件から5年 上・中・下

2021/08/15

朝日新聞 2021年7月26,27,28日

 19人の命が奪われたやまゆり園事件から5年。障害者をめぐる現状を3回で考える連載。

(上)地域と共に 私らしく

 やまゆり園事件で重傷を負った、知的障害と自閉症のある尾野一矢さん(48)は約1年前からアパートで一人暮らしをしている。3年前から共に歩んできた介助者の大坪寧樹さん(53)は「以前より自己主張するようになり、言葉や笑顔も増えた」と語る。意思疎通がしづらく自傷行為もある一矢さんの暮らしを支えるのは「重度訪問介護」という公的福祉サービスに基づき介護事業所から来る介助者だ。交代で24時間見守る。クリーニング店を営んでいた両親は介助と仕事を両立させるのは難しく、12歳から施設に入所、23歳でやまゆり園に移った。事件後も仮園舎で暮らしていたが、重い障害のある人が重度訪問介護を利用し一人暮らしをしていることを知った父剛志さんは「一矢の幸せはこれだ」と確信。アパート十数件に断られるなど苦労したが、今の暮らしが実現した。障害特性ゆえのトラブルもあるが、支援者らは「かずやしんぶん」を手作りし地域に配り始めた。剛志さんは「みなさんに支えられ、一矢は幸せです。でも、望んでも事業所不足で実現できない現実もある。施設が必要な人もあるでしょう。大事なのは選択肢を広げ、その人らしく生きていけることではないでしょうか」。

 障害者支援団体「わをん」(東京都)が運営するウェブマガジン「当事者の語りプロジェクト」に今月、重い障害があり24時間の介助を受けながら、訪問介護事業所を立ち上げた富山市・村下秀則さん(34)のインタビュー記事が3回にわたって載った。筋萎縮性側索硬化症(ALS)で首から下は動かず、介助者2人が24時間付き添う。約2年前から一人暮らし。村下さんが診断を受けたのはやまゆり事件から1年ほど経った頃。事件当時は自分は関係ないと思っていた。仕事はできなくなり、結婚は破談。家に引きこもった。4ヵ月ほど後に参加したALS患者らの交流会で「わをん」設立者で重い障害のある天畠大輔さん(39)と出会ったことが村下さんの人生を変えた。「自分にも人のためにできることがあるのでは」。24時間の介助が必要になった。福祉サービスが足りないなら事業所を立ち上げよう。19年8月天畠さんの支援も受けて訪問介護事業所を開所。20日後。事業所兼自宅の一軒家に引っ越した。約2年ぶりにマクドナルドに行き、あつあつのポテトを食べたとき「生活が戻ってきたと実感」。地域の人との関わりも増え「当たり前の日常が今、幸せと感じる」。障害者が地域にいるのが当たり前だと思う人が増えていけば、差別や偏見を少しずつなくしていける、そう信じて今日も街に出る。 

 (中) 生きる姿 ありのまま

 知的障害者が中心となって、当事者の情報や思いをインターネットで発信する動画番組「きぼうのつばさ」。番組を作るのは、知的障害者が通う事業所「パンジー」やグループホームを運営する社会福祉法人「創思苑」(大阪府東大阪市)。2016年9月に始まった。編集・撮影は、ドキュメンタリー番組を制作してきた小川道幸さん(73)らが担当するが、配信前には必ず当事者が確認する。小川さんは「思いをきちんと伝えているか、健常者の価値観で作られていないかの意見を聞く」と話す。林淑美理事長(71)がスエーデンで障害者が番組や新聞を作る様子を視察し、「当事者主体の発信をしたい」と小川さんに相談、準備を進めていたときにやまゆり園事件が起こった。

 大惨事にもかかわらず、パンジーの通所者は数日は事件に触れようとしなかった。ホールに集まってもらい話をしたところ、せきを切ったようにそれぞれが思いを口にした。「私ら生きていたらあかんのか」「好きで障害者になったんじゃない」 2ヵ月後の初回番組で作ったドラマでは、そのままセリフになった。番組内の「私の歴史」コーナーでは、知的障害者が自らの半生を語る。

 事件から5年経ち、林理事長は「背景にあった優生思想について本人たちが考えて『おかしい』『わたしたちは生きていてよかったと思っている』と発信してきた。共感する人を増やしたい」

 

 ドキュメンタリー映画「不安の正体 精神障害者グループホームと地域」(飯田基晴監督) 約65分の映像には、各地の反対運動や社会福祉法人「SKYかわさき」が運営するグループホーム(GH)での生活の様子が収められ、精神障害者の置かれた実情を理解してもらおうと制作された。

 大阪市立大大学院・野村恭代准教授は、昨年までの10年間で起きた精神障害者施設に対する近隣住民の反対運動の数を調査。「苦情があった」が11件、「反対運動があった」が2件だった。理由は「利用者への危険視や不安」が13件と最多だった。SKYがGH開設したときにも反対運動があったが、開設後は町内会に入り、地域の清掃など住民と同じ活動を行った。今ではトラブルもなく、受け入れてもらえていると感じるという。

 SKYの入居者は「精神障害のある人って自分を攻撃するけど、関係のない他人に向かうことはない。みんな臆病でやさしいんです」と話す。映画では反対一色の住民説明会で、ある住民が発した言葉が紹介されている。「誰もが受け入れてもらえる地域なら、私はそこに住みたい」

(下)暮らしの場 あり方模索

 重い障害のある人の生活の場はどうあればよいのか続いている現状を、実例を挙げて探っている。家庭やグループホームでの生活が難しい人もあり、施設の存続か、地域移行かで揺れるところも少なくない。

 筑波大学の小澤温教授(障害福祉学) 公立入所施設は重度の障害がある人の「最後の引き受け手」となっている実態がある上、人手も不足しているので問題が発生しやすい環境になっている。また「施設」か「地域」かという対立的な考え方はやめるべきだ。施設での暮らしの質を向上させることが大事で、その上で地域での暮らしを施設が支援する仕組みを作ることが望ましい。地域で暮らす基盤を作るには、地域住民の理解も必要だ。自分の家族だったら、という共感が深まってほしい。

 浦和大学の河東田博客員教授(障害者福祉論) 障害のある人が地域の一員として暮らしていくため、地域移行を進めることが必要だ。県立施設の廃止を決めた千葉県の判断を重く受け止め支持する。個人個人の障害の特性に合わせた支援ができるよう課題にも取り組んでいかねばならない。そのためには財源確保も必要。国や自治体には、施設を出たあとも継続的に支援していくことが求められる。