ALS患者 命の問い 彼女の意思表明「生きたい」の叫び
朝日新聞2020年7月26日
ALS患者が薬物を投与されて殺害されたとされる事件は、同じ難病患者らに波紋を広げ、社会に重い問いを突きつけている。同じALSを患っている2人の考えを紹介。
「日本ALS協会」近畿ブロック会長の増田英明さん(76)は2004年頃に発症した。「孫の成長を見守ってほしい」という娘の言葉に勇気づけられ、人工呼吸器を装着した。現在は24時間、介護サービスを利用し、自宅で暮らす。事件についての考えを尋ねるとメールで本当を寄せた。
報道を見て驚くと同時に「ついに起きてしまったか」と思った。生きることが当たり前の社会で、わたしたちは常に生と死の間におかれている。誤解してほしくないのは、彼女の意思表明は生きたいと思ったからこそであること。安楽死という希望は社会が作り出した差別の中で生み出された彼女の叫びなのだと思う。体が動かせずコミュニケーションもままならない状態では、生きたいという意欲が持てずに尊厳死・安楽死に気持ちが傾いていくのは当然のことだ。社会は重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれない。そういう社会では他の患者とくらべて、同じ病気や障害を持つもの同士を分断しようとする。
きっと社会は、安楽死や尊厳死の法制化に向けて議論を再開するだろう。私はそれに反対することになる。こうやって同じALSなのに、私の主張が彼女を否定するかのように受け取り、彼女と私を分けていく。私も彼女も同じだ。私たちが直面している苦悩に、現実に目を向けてほしい。彼女を死に追いやった医師を私は許せない。相模原事件で経験したことが、優生思想が脈々と息づいている。私たちが生きることや直面している苦悩を、尊厳死や安楽死という形では解決できないし、そうやって私たちの生を否定しないでほしい。
今こそ、「生きてほしい」「生きよう」と当たり前のことを当たり前に言い合える社会が必要だ。
長崎県の平坂貢さん(48)は2017年、歩行に異常を感じ、翌年にALSと診断された。現在は車いすを使って生活している。
昨年9月、被害者のものと見られるツイッターを読み、心配になって返信した。「自分の未来と重ねながら読んでいます」。すると、「人により随分進み方が違うので、参考程度に」「なぜか他の患者さんには希望を持ってほしいと思う。勝手なものですね」と返事が来た。
自身も闘病生活や日々の暮らしをブログにつづっている。「時間の経過と共に苦しみだけが増大していった。彼女はそんな人生に幕を引いた」と記した。「ALSは進行と共に社会との物理的なつながりが狭まっていく病気」と考える。「それに抗って、自分の居場所を確認したい。彼女がどうだったかはわからないが、私はそういう目的で発信している」