偏見や差別 被告だけじゃない  やまゆり園事件判決を前に れいわ・木村英子議員

2020/03/10

朝日新聞 2020年3月10日

 利用者19人の命が奪われた事件の判決が、16日に予定されている。被告の言葉をどうみるか、このような事件が繰り返されないためには…?重い身体障害があり、18歳までの大半を施設で暮らした木村英子参院議員(54)に聞いた。(以下〈 〉以外は木村さんの言葉)

 〈被告は「意思疎通のとれない人は社会の迷惑」「重度障害者がお金と時間を奪っている」などと語った〉同じようなことを施設の職員に言われ続けた。生きているだけでありがたいと思え、とか、社会に出ても意味はない、とか。一番嫌だったのは「どうせ子どもを産まないのに生理があるの?」という言葉だ。殺されていたのは私かもしれないという恐怖に今も苦しむ。生後8ヵ月の時に大けがをして重い身体障害を負い、24時間の介護が必要となった。小5から中3までの5年間を除き、18歳までの大半を施設で暮らした。やさしい職員もいたが、私にとっては牢獄のような場所だった。自分の暮らしを主体的に決めることがない。自由のない環境で希望を失った利用者を見た人たちが「ともに生きよう」と思えるだろうか。偏見や差別の意識が生まれたとしても不思議ではない。私は、被告だから事件を起こしたとは思えない。

〈事件に及んだ動機や真相は十分には解明されなかった〉被告を罰しただけでは社会は変わらない。第2,第3の被告を生まないためには、子どもの頃から障害者とそうでない人が分け隔てなく、地域で暮らせる環境を作ることが必要。私が望むのは、障害のある子どもが生まれたとき「おめでとう」と言える社会。私は、歓迎されない命だという思いを抱いて生きていたが、19歳で地域に出てから、歓迎されない命などないと気づいた。私は23歳で結婚し、息子を出産した。公園デビューしたときのこと。息子と子どもたちが遊んでいるのを車いすの私が見ていたら、私が母親と分かった瞬間、周りのお母さん方が自分の子どもを抱き上げて帰ってしまった。私と関わると厄介なことになる、といった意識が働くのだろう。本人たちは差別とは思っていないが、あからさまな差別だ。障害がある人とそうでない人を分けることでお互いが知り合う機会を奪われる。地域で暮らして35年。福祉サービスは増えたが、就労中は「重度訪問介護」が公的負担の対象外だったり、移動支援が自治体によって差があったり、障害を理由に普通学校への入学を認められなかったりする。こうした課題をみんなで解決できたとき、障害のある子が生まれて「おめでとう」と言える社会になる。それが事件を乗り越えることになるのではないか。