天声人語

2017/08/02

朝日新聞 2017年7月26日

 1970年、横浜市で脳性まひのある2歳の女児が母親に殺された。母親の境遇を思いやり減刑を求める運動がおこった。しかし、これに異を唱えた人たちがいた。「母親を憎む気持ちは毛頭ない。だが罪は罪として裁いてほしい」。脳性まひの当事者らの切実な言葉が本誌に残る。「減刑になることは、僕たちの存在が、社会で殺してもいいということ」「かわいそうだから殺した方がいいという、そんな愛ならば、いらない」
 相模原市の「津久井やまゆり園」で19人の命が奪われて、今日で1年。半世紀前の上記の訴えを、被告の男は想像すらできなかったろう。あまりにむごく、異常な犯行だった。しかし、男の思考そのものも異常だと片付けることができるのか、今も答えが出ない。
 和光大名誉教授の最首悟さんは、「彼は正気だった」と語っていた。「今の日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵とみなす冷め切った風潮がある。この事件はその底流が表面に現れたもの」。
 言語障害があるならあるまま、喋れるなら喋れるまま、お互いの存在を認めあう関係を―あの時声を上げた一人、故・横田弘さんが述べている。当り前のことができるかどうかが問われている。