音のない世界に生きて

2017/02/14

朝日新聞 2017年2月2日

 手話を言語のひとつと認める「手話言語法」の制定を求める機運が高まっている。子どもに手話を教えてきたろう者の早瀬憲太郎さんに、聞こえる世界と聞こえない世界について聞いた。(インタビュー)

 (昨年のリオ・パラリンピックで、NHKのキャスターを務め) いかにほかの障害のことを知らなかったかということに気づいた。僕にとっては、車いすの人も目の見えない人も「聞こえる世界」の人だから。聞こえる人たちにろう者のことを知ってもらうには、僕も違う障害の人たちの世界を知らなくてはと感じた。

 最近はハード面は整いつつあるが、人の心つまりソフト面はまだまだだ。たとえば、僕が「耳が聞こえないから筆談を」と紙に書くと、人は隣の妻に話しかけ、僕とコミュニケーションをとろうとしない。妻もろう者なのに、聞こえない人と一緒にいるのは介護者だと無意識に思っているのかもしれない。そうした意識を変えるには時間がかかる。「聴者」と「ろう者」が接する機会のないことが問題。焼肉屋に行った時のこと、店員に身振りでメニューを頼むと点字メニューを持ってきた。点字は目の見えない人のためのもの、と伝えたら彼は泣き出した。あとで彼は「見えない人との区別ができなかった自分が悔しくて泣いた」と手紙を持ってきた。僕は、「君が悪いんじゃない、これまで聞こえない人に会えなかっただけ。今日出会えてよかった」と伝えた。数年後、僕が監督をした映画の上映会で、手話の堪能な若者が話しかけてきた。あの店員だった。福祉施設の職員として働いていると言った。こういう出会いと気づきがもっと必要だ。

 僕は生まれながら聞こえない。4人家族の中で僕だけがろうだ。公立の小・中学校に通い、難聴学級で聞こえない仲間と共に学んだ。中学から始めた柔道の強い高校に進み、深く考えずに聞こえる人の世界に飛び込んだ。

 聴者とお化け屋敷に行くと、怖がるタイミングが違った。聴者は音を聞いて怖がっているが、僕は目で見ないとわからないから。聞いて感じる恐怖と、見て感じる恐怖。聞こえる人との違いはこれなんだと思った。それで、聞こえる人も聞こえない人も同時に怖がるように、音のないお化け屋敷を企画した。聞こえる人にも新鮮で、かえって怖かったらしい。

 共生するにはどうすればいいのか気づいた。聞こえる世界と聞こえない世界があることを認めた上で、違いを知る。それで初めて先へ進める、と。理解しなければ、というよりまず知ろう、気づこうという気持ち、そして何よりも想像力が大事。出会いがあって初めて、互いに新たな世界、違う文化があることに気づく。自分を見つめ、価値観を見直すことにもなる。

 親が障害に対して前向きであれば、子どもも前向きになり自己肯定感を持てる。母にカメラを贈ったら、写真にはまり、あるコンテストで2位になった。受賞あいさつで母は、「音のない世界に生きる息子の感性を大事にして学んだことで、自分の感性も育った」と言った。僕は聞こえない自分で良かったと思っているが、母も聞こえない僕を産んでよかったと思ってくれていることが本当にうれしかった。

 (大学卒業後に立ち上げた、ろうの子どもたちの学習塾で) 主に国語を教えている。聞こえる人は意味が分からなくても日本語が自然に耳から入り、後で概念とつながるが、ろうの子どもたちにはそれがない。目で見て、その場で覚えなくてはならない。だから手話で十分にコミュニケーションをとりながら日本語の魅力を伝え、目で見て頭に残る教え方を工夫している。ろう者にとって100%認識できる言語は目で見る手話。第1言語が手話で、日本語は第2言語と言える。

 手話言語法は、手話をひとつの言語と認める法律。手話によるコミュニケーションを基本的人権としてとらえ、手話を獲得する、学ぶ、使う、守る、手話で学ぶ、という権利を保障するというもの。ろうとして社会の中で生きることを認められつつあると感じる。手話が権利として認められる意味は大きい。誰もが平等に言語を学び、文化を楽しむ環境になる。早く制定してほしい。ただ、法律がろう者のためだけで終わってはだめだと思う。NHK「みんなの手話」で一緒だったV6の三宅健さんは「手話との出会いは人生を広げた」と言う。手話言語法の制定は、聞こえる人にとっても手話と出会う、新しい文化と出会うチャンスだ。

 東日本大震災で障害者の死亡率は健常者の2倍という。宮城県では肢体不自由者の次にろう者が多かったそうだ。防災無線などが聞こえず、逃げなかった人が多かったと思われる。情報があれば助かった人がかなりいたのではないか。車いすの女性を助けたろう者夫婦がいる。情報さえもらえれば、ろう者も社会の一員として地域の人を助けることができるのだ。

 いまの社会で僕は「障害者」との視線を向けられている。障害者を「かわいそう」「理解してあげる」ではなく、異なる文化を持つひとりの人間として向き合う。互いに学び合い、どちらも助ける側にも助けられる側にもなる。「お互い様」になることが、共生社会に近づく道だと思う。