くらしナビ・ライフスタイル 座談会/下 相模原の障害者殺傷事件、問う 地域との関わり、より厚く

2017/02/13

毎日新聞 2017年1月30日

 誰もが排除されずに生きられる共生社会の礎は、共生教育にこそあるといわれる。座談会後半では、昨夏の相模原事件で問われていることは何か、語り合ってもらった。

姜:事件後「周りの人は車いすの自分をどう見ているのだろう」と恐怖に襲われた。子どものころから障害者への社会の偏見を感じてきた。時代の流れがさらにマイノリティーに恐怖を感じさせるものになってきている。起こるべくして起きてしまった事件だと感じる。

落合:容疑者が話していることはナチス・ドイツと同じだ。日本での最近の事件が、ターゲットを弱い者へと向けている現象は何の予兆なのか、時代への危機感を持たないといけないと思う。

中山:若いころ先輩がしてくれた小話。人気の大店に5人の丁稚がいた。旦那は不器用な1人が気になり首にした。すると、また別の1人が気になってきた。そして最後は誰もいなくなった――という話だ。誰かを排除するする社会は、結果的に社会そのものが崩れていく。容疑者は、障害のある人を序列の一番下に見ていたのだろう。学校教育の中で序列化をなくすのは容易ではないが、それに疑問を持つ学校職場にしていかないといけない。

鈴木:競争主義や能力主義、成果主義の中でとても生きにくい社会になっている。殺していい命とそうでない命を人間が選別していいのか。優生思想の高まりに抗するには、子どものころから、障害の有無にかかわらない「共に学び、共に育つ」教育を進めていくことが大切だと思う。

姜:何事にもすぐに成果を求められる。もっとゆっくりした時間の中で、物事を見つめていくことが大切ではないか。事件を問い返した時、僕たちは地域の中で、時間を大切に、人と人との関わりをより分厚くしていく、と答えたい。