相模原事件が投げかけるもの(上・下)

2016/09/08

朝日新聞 2016年8月25,26日

優生思想 連鎖する怖さ

 ヒトラーの思想が降りてきた、と容疑者は語ったという。ナチスドイツは重い障害のある人を「価値なき命」として「安楽死」計画を遂行した。日本障害者協議会代表の藤井克徳さんは、「おぞましい思想が70年以上の時空を超えてよみがえったようだ」、「労働力で人間の価値に優劣をつけ強者だけを残そうという優生思想は、障害者だけでなく高齢者、病人と、弱者探しに連鎖する」と言う。

 ナチスの安楽死問題に関する著書がある精神科医で精神針医学史家の小俣和一郎さんによれば、思想的な要因に加え、第一次大戦敗戦後の経済の混乱、犠牲者の脳を研究に利用できる医学界の事情もあったという。多くの普通の医師や看護師らが加担した。昨年大阪で開かれた、ドイツ精神医学精神療法神経学会の企画展「ナチ時代の患者と障害者たち」に尽力した神奈川県立精神医療センターの岩井一正所長は自戒を込めて語る。「加わったのは『患者思いの有能な医師』ときき、しょっくだった。当時のドイツにいたら、自分も加担したのかもしれない」

 優生思想について、市野川容孝・東大教授(医療社会学)は「歴史的にはナチス発祥でもナチス特有の考え方でもない」という。各地にあった考え方で、日本でも48年に優生保護法が成立した。同教授は「優生思想という言葉は、日本では、生まれた後も含め、障害者の存在否定につながる考え方という意味で使われることも多い」と話す。

「優生」消えても残る偏見

 優生保護法は1990年代半ばまで日本にもあった。条文は削除され、法律の名前も変わった。はたして、私たちは優生思想から自由になれたのか。

 同法は「不良な子孫の出生を防止する」ことなどを目的に48年に施行された。都道府県優生保護審査会の決定などを条件に、強制的に不妊手術もできた。厚生労働省によると、本人の同意が必要とされなかった不妊手術は、49年から92年までに約1万6500件あったという。松原洋子・立命館大教授(科学史・生命倫理)によると、同法成立の背景には、敗戦後の将来不安と「民族復興」への取り組みがあった。「『不良な子孫の出生防止』が公益上必要だという意見は、70年代にも公然と語られていた」

 70年前後から、障害者から抗議の声が上がり、同法への激しい反対運動が起きる。胎児の障害を理由に中絶を認める優生保護法改正案が国会に提出されたことがきっかけだった。脳性まひの人たちでつくる「青い芝」神奈川県連合会は、ビラで訴えた。

 生き方の「幸」「不幸」は、およそ他人の言及すべき性質のものではない筈です。まして「不良な子孫」という名で胎内から抹殺し、しかもそれに「障害者の幸せ」なる大義名分を付ける健常者のエゴイズムは断じて許せないのです。(横田弘著「障害者殺しの思想」から)

 改正案は廃案になり、その後「優生」は障害者差別、との考えが社会に広まった。94年の国連国際人口開発会議のNGOフォーラムで、車いすを使う安積遊歩さん(60)が法の廃案を訴え、同法が国際的にも批判されたことが後押しし、96年に優生保護法は母体保険法に改正された。

 法改正から20年、今なお残る根強い偏見が顔をのぞかせる。相模原事件後、ネットには容疑者への共感が書き込まれた。東京都の脳性まひの男性(33)は、「障害者はいない方がいいという考えはこの世の中にあふれていて、今回の事件と根っこは同じだと思う」と打ち明ける。

 出産前に障害の有無を調べる出生前診断の技術も高度化。支援の仕組みが不十分な中で障害のある子を産み育てられるのか、診断を受けるべきか、と悩む親は少なくない。白井千晶・静岡大教授(家族社会学)は「新しい技術は国境を越えて入ってくるのに、日本社会として出生前診断を受け入れるかどうか、そもそもの議論が進まない」「日本では模範的親像を求める意識が高く」「結果的に、親がすべての責任を引き受けて、重すぎる決断を迫られている」と話す。

 障害があり、女性運動もしてきた東京都の米津知子さん(67)は、「障害者は不幸で価値が低く、社会の負担とみる優生思想は根深い。それに疑問を感じて見直すか否かは、障害のある人と身近に接した経験があるか、障害がある側の思いを想像できるかどうかで分かれる」と語る。「大切なのは、障害のある人とない人が知り合うこと。そして『健康な子供を産みなさい』という社会の圧力を減らし、障害についての偏見のない情報と支援を社会に行き渡らせることです」