
ダウン症 念願の1人暮らし
毎日新聞 2016年3月23日
ダウン症の書家、金沢翔子さん(30)が、昨年末から念願の1人暮らしを始めた。2人3脚で歩んできた母の泰子さん(72)はほっと胸をなでおろしている。障害者の親が最も案じるとされる子の自立だが、泰子さんは「親が心配なだけで、子どもは大きな可能性をもっている」と話す。
書家 国内外で活躍
翔子さんの新居は、東京都大田区の自宅近くのマンションだ。1Kの住まいは翔子さん好みの家具やカーテンで統一されている。家電、身の回りのものなど、新しいものを買いそろえた。「新生活のスタートですから、きちんと始めさせたかった」と泰子さんは言う。
母子は数年前から、翔子さんが30歳になったら1人暮らしを始めると決めていた。家事は、翔子さんが小学生のころから手を取って教えてきた。買い物にも1人で行き、ハンバーグやカレーが得意料理だ。
成長した翔子さんが不自由なく生活できるようになったことで、泰子さんは娘の障害を忘れてしまうほどだったが、新居探しを始めたとき、大きな壁にぶつかった。借りられる部屋がなかなか見つからないのだ。知的障害がある女性の1人暮らし。翔子さんをよく知る人が多い地元の物件を探し、何軒もの不動産業者を巡ったが、知的障害者の1人暮らしに理解を示す家主はいなかった。
「どんなに書道が上手でも、個展に多くの方が来てくれても、ダウン症の翔子は部屋も借りられないのか」。泰子さんは失望した。だが、あきらめずに地元の小規模な不動産屋に駆け込むと、翔子さんをよく知る店主が家主を説得してくれた。物件は自宅から徒歩数分で、翔子さんが熟知している商店街に近い。願ってもない立地だった。
「三つの誓い」守り
1人暮らしを始める前、母子は「三つの誓い」を立てた。▽部屋の片付けをする▽寝る時間を守る▽運動をする。翔子さんが少し苦手なことだ。泰子さんはそれぞれ具体的に説明した。しまい方を教え「使ったものは元に戻せばぐちゃぐちゃにならない。出しっぱなしにしないこと」と言い添える。テレビやゲームに夢中になり夜更かししがちで生活のリズムが狂うことも心配だ。「11時になったら30分のタイマーをかけて、寝る支度をする。12時までにはベッドに入ること」。運動は、今より体重が増えないようにするためだ。できるだけ歩き、週1回はスポーツクラブに行くこと…。
「ドーナツ買ってもいい?」。翔子さんが好物を挙げる。「三つの誓いがちゃんとできたら、後は自由。でも、できなかったら素敵な部屋を出なくちゃいけなくなるのよ」。泰子さんの厳しい言葉に、いつもは明るい翔子さんが涙をこぼした。楽しみな半面、不安や緊張が募ったのだろう。
1人暮らしを始めてから、翔子さんが大きく成長したと泰子さんは感じている。これまでキャッシュカードがあれば無尽蔵にお金が出てくると思っていたが、「お金がいるからちゃんと入れておいて」と言うようになった。「ごみはどこに出すの?分けて出すでしょ?」と、自分から気遣うようになった。「あせらずに準備期間をしっかり取ったことで、親子ともに成長できた」と泰子さんは振り返る。
「さびしくない」
「三つの誓い」を立ててから間もなく、翔子さんは1人暮らしを始めた。「3日くらいで音を上げて帰ってくるんじゃないか」という泰子さんの思惑は大きく外れた。翔子さんは自由を満喫し、実家にはほとんど寄り付かない。たまに来るときは、得意料理と泰子さんの好物の白玉デザートまで手作りして持ってくるという。
「片付けも、お料理もちゃんとしてます。さびしくないし、すごく楽しい」。翔子さんは新生活に毎日胸を弾ませている。娘の姿に泰子さんは「私の就活の中でも一番の心配事がクリアでき、何よりうれしい」。以前、「翔子よりも1秒でも長く生きたい」と語っていたが、今は安らかな気持ちだという。「一朝一夕には自活できないが、身の回りのことができるように幼いころから仕込み、助けてもらえるよう地元の人と親密な関係を築いていけば、きっと1人暮らしできるようになる」。泰子さんは障害児の保護者に伝えたいという。





