となりの障害 吃音とともに(中)

2016/03/27

毎日新聞 2016年3月18日

正しい知識知らないまま

 「(言葉に)詰まっちゃうと焦る。みんなを待たせちゃうから」「歌を一緒に歌うと吃音でないよ」--。東京都江東区立南陽小学校で2月、通級指導教室「ことばときこえの教室」のグループ学習が開かれ、吃音のある小学1~6年生14人が参加、ゲーム形式で自分の体験を語った。
 同校の「ことばときこえの教室」には、18人の吃音のある児童が校内外から通う。基本的には教師と1対1で、ゲームや話し合いを通じて、症状の改善方法や吃音のある自分をどう受け止めるかを学ぶ。子どもの吃音症状への対処策は複数あるが、効果には個人差がある。一時的にしか改善されない場合もあり、治療法は確立されていない。
 指導教諭の一人で言語聴覚士の滝田智子さん(50)は「大人が治そうという態度を前面に出すと、子どもはどもっている自分を否定されたように感じてしまうこともある」と話す。それでも、少しでも対処法を身につけることで、気持ちが楽になる子もいる。「そのままでいいんだよ、と伝えた上で『症状を和らげる引き出しはたくさん持っておこう』と話している。吃音とどう付き合っていくかを子どもたちと一緒に考える場にしたい」

少ない指導教室
 こうした「ことばの教室」は言語障害のある子どもを対象に全国に設置されている。一方、設置校が少なく、通えない子どももいるなど課題も多い。江東区によると、区内では南陽小のみ。東京都内全体でも、市区町村立小学校の約6%にしか設置されていない。設置校以外から通う場合は保護者らによる送迎が必要で、あきらめる家庭もある。
 指導教諭の吃音に関する理解や知識にも差がある。都内では教諭らでつくる研究会が指導内容の質の向上を目指すが、そうした機会がほとんどない地域も多い。

中学以降 支援なく
 友人関係が複雑になる中高生時代には、吃音があることで周囲になじめないまま学校生活を送る人もあるが、ことばの教室が設置されるのはほとんどが小学校で、中学生以上への支援体制は整っていない。
 川崎市の高校2年、木村陽太郎さん(17)は最近、同世代と悩みを話し合ったり専門家の意見を聞いて勉強したりするネットワークを作りたい、と周囲に呼びかけ始めた。木村さん自身がスピーチや発表場面で吃音の症状が重くなる。友人との会話では言葉がつっかえても気にしないが「言いたいことが言えない自分にいらいらすることがある」と話す。「同世代だからこそわかりあえることがある。さまざまな人の話を聞き、吃音との向き合い方を考えたい」と話す。

「なんで俺だけ」
 吃音の相談窓口や治療体制が整わない中、親たちも対応に悩んでいる。千葉県のパート従業員の女性(45)は、長男(20)が5歳の頃、幼稚園の先生から「どもる時がある」と指摘された。吃音について何も知らず、インターネットで「親子間で吃音について話さないで」「ほとんどの子が治るから様子を見て」という助言を見つけた。小学校の担任からは「お母さんの気にしすぎ」と言われ、医療機関には行かなかった。 長男に「ゆっくり落ち着いてしゃべろう」と声をかけるほかは、吃音について話し合うことは少なく、長男から吃音の悩みを聞くこともなかった。
 「今から考えると、すべて間違った対応だった」と女性は振り返る。中学校卒業を3日後に控えた日、帰宅した長男が突然「なんで俺だけこんなしゃべり方なんだよ」と泣き出した。友人から話し方を指摘され、やり場のない苦しさを初めて母親にぶつけた長男に、かける言葉が見つからなかった。
 今は、吃音について正しい理解を深めたいと、講演会や言語聴覚士らによる勉強会などに参加している。市に相談した際、担当部署がはっきりせず情報を得られなかった経験から、吃音のある人たちでつくるNPO法人「全国言友会連絡協議会」が発行するリーフレットを市教委などに配る啓蒙活動も続けている。
 吃音の研究に携わる「日本吃音・流暢性障害学会」の長沢泰子理事長は「吃音の相談・治療機関が少ないことで、正しい知識や対処法を知らないまま苦しむ当事者も多い。専門的に診ることのできる言語聴覚士の育成や相談窓口の設置などの支援が必要」と語った。

*自身も吃音があり、吃音を研究する九州大学病院耳鼻咽喉科の菊池良和医師に、子供に吃音症状が現れた時の周囲の大人の対応の良い例、よくない例を挙げてもらった。
〇 良い例
 ・吃音の症状が出ても注意しない
 ・話し方ではなく話す内容に注目して話を聞く
 ・吃音以外にも目を向け、自信を持たせる
 ・園・学校でからかわれていないかなど、吃音をオープンに話す
▽ 良くない例
 ・「ゆっくり落ち着いて」など話し方のアドバイスをする
 ・話す内容より話し方に注目する
 ・吃音について話題にしない、子どもと話し合わない
 ・吃音の原因を親のしつけだと思う