となりの障害 難聴になって~反響特集

2016/03/26

毎日新聞 2016年3月5日

 外見からわかりにくいが、身近にある障害を取り上げる連載「となりの障害」の「難聴編」(1月27日~29日、全3回)へ多くの声が寄せられた。

 東京都内でフリーのマスコミ関連の仕事をする女性(50)は38歳の時に難聴に気付いた。「原因不明で治らない」との診断。聞こえた単語をつないで、会話の内容を推測して乗り切ってきた。他の人がすでに話した内容を話して恥ずかしい思いをしたこともあり、自然に無口になった。仕事で問題が起きるのではないかと不安になった。仕事上の知人が「あの人は一生懸命聞いているように見えて、人の話を聞いていないから要注意」と話していた。誤解されたことにショックを受けたが、難聴と言えず、強いコンプレックスとなった。今もなかなか周囲に打ち明けられないという。「『難聴』だからという説明ができれば少しは楽だったかもしれないが、仕事を失うことを恐れて何も言えなかった」と振り返る。一方、仕事以外の場面で、難聴であることを周囲に告げたことがあったが、「自分が気にしているほど、人は自分の難聴に興味を示さない」と気付いた。また、おしゃれができるメガネに対し、補聴器は隠すように使い、「目立たない」「人に気付かれない」ことをよしとしている点にも疑問を感じている。「『聞こえない』ことは悪いことではない。補聴器がかっこいいイメージになってほしい」と願っている。

隠し続ける苦しさ
 職場で難聴であることを告げられず、周りと同じように働き続ける難しさへの共感も多く届いた。
 大阪府河内長野市の堀田公篤さん(73)は「会社で役職が上がるにつれ、相手に聞き直せなくなっていった。難聴であることは周りに知られたくなく、聞き間違いで恥をかきたくなかった。その点では苦しい会社員時代だった」と振り返った。連載を読み、「この年齢になってもなお隠し通そうと思っていたが、周囲にうまく伝える方法を探り、おびえ続けてきた人生から脱却したい」とメールに思いをつづった。

決めつけず、信じて
 小学校低学年の頃「感音性難聴」と診断されたという群馬県の小林麻衣子さん(32)は、両親の希望で、ろう学校ではなく地域の学校で学んだ。補聴器を装着していることも20年間隠してきたという。「自分は何者なのか、アイデンティティーを確立するのが本当に難しかった」と記した。2児を育てる今、母親同士のコミュニケーションでつまずくこともたびたびあるという。3年前、迷った末に障害者手帳を取得。今では自身の難聴について知ってもらおうと、聞こえ方などをA4判の紙にまとめ、初対面の人に配っているという。
 難聴の子を持つ親の胸の内を打ち明けてくれたのは千葉県八千代市の看護師の女性(55)だ。保育園で「落ち着きがなく、言っていることを理解していない」と注意を受け続けた次女が、難聴と診断されたのは6歳の時だった。「ショックと後悔でいっぱいだった」と振り返る。宿題の範囲が理解できない、友達と約束できない、など苦労したようだが、24歳の今、同じ看護師として働いているという。「高校進学は難しいと思ったこともあったが、娘のやりたいことを信じた。親は『難聴だからできない』と最初から決めつけないで」と訴えた。