
けいざい心話(SHINWA) ろう者の祈り4
朝日新聞 2016年3月12日
社会が理解し、すぐに改善を
ろう者への理解は、ゆっくりだけれど進んでいる――そんな悠長なことを言っていられない現実がある。
にいまーるの臼井千恵さんが参加したろう者と聴者の交流パーティーにいた女性(58)の現実だ。独身で一人暮らしの彼女は、有名な建築会社で20年近く図面を描いてきた。あと2年で定年だった。
東北で生まれた。親は、娘がろうであることを隠して小学校に入れた。ろう者だと知れるといじめが始まったが、スポーツや勉強に頑張った。高校を卒業し、横浜のメーカーへ。生産ラインに配属された。仕事内容を文章で説明してくださいとお願いすると、「めんどくせえな」。聞こえなくても口の形でわかる。すいません、すいません、すいません。頭を下げてばかりの自分が嫌で、5年で辞めた。
技術を身につければ、謝ってばかりの状況から逃れられるかも。製図の職業訓練を受け、建築会社に就職できた。設計担当からの指示をもとに家の図面を描く仕事だった。〈よーし、ここでがんばるぞ〉
だが、コミュニケーションのハードルが彼女のやる気を奪っていく。聞きたいことをメモにして担当者に渡しても、返事が来るまでに時間がかかる。聴者同士なら5分もかからないのに。仕事は電子化で複雑になり、聴者たちは会話で手順を覚えていく。「教えてください」と筆談で頼むと、同僚は彼女の分まで仕事をしてしまう。上司は同僚の評価を上げ、彼女の評価を下げた。〈私は教えてほしかっただけだ。自分の仕事は責任をもってしたいんだ〉
書いた文章に「こういう言い方はしない」と赤いバツをつけられたことも。どこが間違っているか聞けなかった。
そんな年月を20年近く過ごすうち、苦しくて会社を休むようになった。病院に行くと、「うつになりかかっていますね」。その病で復帰できない人たちを知っている。このままでは自分もそうなる。だから昨夏退社した。心の回復を待って新しい仕事を見つけたい。こだわる条件は「私を理解し、相談に乗ってくれる人がいる職場」。このひとつだけなのに、〈そんな所、あるの?〉と思ってしまう。
彼女には笑っている写真がない。
ろう者は能力が劣っているのではない。ろう者になったのは自分の責任ではない。なのに社会は苦しめ、ときに職場から追い出すことすらある。意識していない分、余計に始末が悪い。しかし、それでは「1億総活躍社会」をうたう資格はない。まず理解、そして直せるところはすぐに直さなければ。





