となりの障害 難聴になって 上・中・下

2016/02/07

毎日新聞 2016年1月27,28,29日

 聞こえづらい、言葉が出にくい、見えづらい、ーー。日常生活に支障がありながら、見えないために周囲に気付かれにくい障害を持つ人たちがいる。当事者の声を聞きながら、誰もが暮らしやすい社会を考えようという連載。最初は難聴を取り上げる。

聞きづらさ 笑ってごまかし
●東京都内の成宮智子さん(48)は3歳の時、はしかが原因で難聴になった。聞きづらいと感じたのは幼稚園の頃。先生に呼ばれていることがわからず、「返事をしない」とよく注意された。本当ははっきり聞こえないのに、注意されてばかりでこわくて、自分が悪いと思い親に言えなかった。相手の口の動きを見て話を推測し、みんなに合わせて笑いごまかしてきた。
 難聴をはっきりと自覚し、周囲に打ち明けたのは小学2年生の時だ。読み上げられる言葉を漢字で書くテストで全く聞きとれず、「もう限界だ」と悟った。家族は智子さんの難聴をようやく知った。
 23歳で結婚、2児の母になった。乳児期は数時間ごとの夜泣きを聞き漏らすまいと、補聴器を全開にしてつけた。幼児だった長男の胸からぜんそく特有のヒューヒューという音が出ていたのに、補聴器をつけていても聞こえなかった。「こんなになるまでなぜ連れてこなかったんですか。お母さんなら、この音に気付くでしょう」という医師の言葉が胸に刺さった。
 「言っても仕方ない」と思い、できるだけ難聴を隠してきた。保護者会、電話連絡、卒業式…、ささいな会話にも神経を使った。「子育て中は、毎日へとへとだった」
 40歳の時転機が訪れる。手話サークルに入り、自分以外の難聴者に初めて出会って励まされた。「難聴を隠さなくていいんだ」
 その後、難聴者として外資系の会社2社に就職。社内研修で、「障害者が職場で理解してもらうために、自分から何を伝えていけばいいか」について学び、難聴を隠さなくなった。「人とのコミュニケーションはまだまだ難しいと感じるが、少しずつ前向きになっている」という。
●厚生労働省によると、聴覚障害者の認定基準は「聴覚が両耳で70デシベル以上」とされ、2014年度末で、国内に約45万人いるとされる。「70デシベル以上」は、耳元での大声や電話の着信音を聞き分けることが難しいレベルだ。一方、日本補聴器工業会が昨年発表した独自推計によると、国内で約1430万人(人口全体の11.3%)が「聞こえづらいと感じている」とされる。同会事務局は「自覚のないまま聴力が低下している人を含めると、もっと多くの人が聞きづらい状態にあると推測できる」という。
 聴覚障害は、会話がわからなくても笑顔で黙ってうなずく仕草から、「ほほえみの障害」と呼ばれることもある。
●世田谷区の看護専門学校生(27)は、先天性の難聴で、静かな場所でないと普通の会話も聞こえづらい。小学校は通常学級に在籍、中高一貫の私学に進学した。同級生との会話は、はっきり聞き取れなくても相づちを打って済ましてきた。「何とか学校生活が送れたので、自分の聞こえ方を深刻に考えなかった」と振り返る。
 「聴力の壁」を感じたのは看護専門学校に入ってからだ。聞こえづらさは、入学後すぐに同級生に伝えていたが、グループごとの実習では議論に入れず、作業手順が頭に入らなかった。周りがひそひそ小声で話しているように感じ、悔しさと疎外感でいっぱいに。実習4日目で教室に行けなくなり、退学した。
 看護師の夢をあきらめきれず、別の看護専門学校に入り直し、今春卒業する予定だ。4月からは総合病院で勤務し始める。患者の声は一言も聞き漏らしたくない。「集中力が必要。だからこそ患者さんの深いところにある思いをくみ取れる。それは看護師にとって大切な役割」と前を向く。
●全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴)の新谷理事長は「難聴者・中途失聴者は、自分から『聞こえない』と言わない限り、聞こえていないことが相手に伝わりにくい」といい、難聴が「見えない障害」だと指摘する。さらに「最終的につじつまが合えばいいと、その場限りの対応で済ましてしまう人も多い」と語り、難聴者がコミュニケーションで誤解を生じやすいことを説明する。

職場でバッジ 笑顔と自信
●東京都の会社員、渡辺江美さん(35)は、建築を学んでいた大学生時代に両耳が聞こえづらくなった。内耳から奥の神経系に障害があって音が反響するなどして聞き取りにくい「感音性難聴」だ。「伝音性難聴」と違い、補聴器の音量を上げても聞き取りにくい。病院で検査したが原因は不明。卒業後、設計に携わりたくて不動産会社に就職したが、電話で不動産を売り込む営業部に配属された。受話器からの声が聞き取れず、相手のイライラを感じるといっそう聞こえなくなった。同期の仲間の営業成績は伸びるが、自分だけゼロ。受話音量を大きくする装置を使ったが、聞き取れない音が大きくなるだけだった。それでも「まだ聞こえている」と異動を希望したりしなかったが、不意に涙が出るようになり、3か月で退職した。
 ハローワークで、電話応対ができないと告げると再就職のあっせんが進まない。アルバイトの面接は「安全上の理由」などと断られ続けた。そんな中、衣料品販売大手に採用された。理由は「笑顔」だったという。
 しかし聴力はさらに落ちた。話しかけてきた男性に、とっさに「サイズをお探しですか」「色ですか」と聞き返した時のあきれ顔が忘れられない。トイレの場所を尋ねられたのだった。「会話の展開を予測してわかったふりをすることがくせになっていた」と振り返る。店員として誠実な対応を自問した。一度は退職を申し出たが、上司は「どうしたら働きやすくなるか考えてごらん」とアドバイスしてくれ、その言葉で前向きになれた。「耳が不自由です。手話がわかります」と書かれたバッジを胸につけることにした。
 再就職して12年、店舗のレイアウト考案などに携わることが増えたが、今でも1日2~3時間は売り場に立つ。バッジを見て避ける人もいるし、声をかけてくれる人もいる。「難聴を隠すとつらいのは自分」。難聴者であることをオープンにすることで心が軽くなった。バッジは休日の外出にも携帯している。
●2013年の厚生労働省の調査によると、雇用されている障害者は全国で推計約43万2000人。そのうち難聴を含む聴覚言語障害者は約5万8000人(13.4%)で、肢体不自由(43.0%)、内臓疾患などの内部障害(28.8%)に次ぐ。難聴者の中には言語習得後の聴力低下だけでなく先天的に聞きづらい人もあり、置かれている状況もさまざまだ。
 障害者雇用促進法により、障害者を雇用する企業は増えているが、同調査では43.1%の聴覚言語障害者が転職を経験しており、長く働き続けることの難しさが浮かび上がる。
●都内の大手企業に勤める男性(55)は40歳の時、突然右耳に耳鳴りがし、突発性難聴と診断された。大きな開発プロジェクト企画を担当し、部下もいた。2人の子どもは就学前だった。半年後左耳の聴力も低下し、「両耳の聴力が落ち続けたら、子どもを育てていけるのか」と真っ先に生活に不安を感じた。感音性難聴のため。大声で話しかけられたり、補聴器の音量を上げたりしても語尾がはっきり聞き取れず、会話のニュアンスが十分につかめない。聴力が下がるにつれ電話対応が難しくなり、会議にもついていけなくなった。騒がしいところでは補聴器を使っても誰が何を言ったのか聞き取れないの。「会社の大事なことは飲み会のようなインフォーマルな場で決まる。重要事項を聞き漏らすリスクを考えると参加できない」と飲み会や職場での雑談から遠ざかった。上司との付き合いもなくなり、開発の現場から外れた。
 昨春障害者手帳を取得し、会社に報告し、名刺にも「聴覚障害があります」と入れた。「障害があっても受け入れられ、誰にとっても居心地の良い職場風土を作りたい」。ささいな取り組みだが、聴覚障害の同僚らと、社員食堂のあえて目立つ場所に座り、覚えたばかりの手話で会話を試みている。

高齢者 交友関係先細り
 高齢化の進展に伴って加齢などによる難聴者も増えていく。「国立長寿医療研究センター」によると、65歳以上の難聴者は推計約1500万人で、およそ2人に1人という身近な問題だ。スムーズにできていたコミュニケーションが難聴によって困難になると、家族関係や交友関係にも影響しかねない。
●都内で一人暮らしをする飯土井進さん(74)は、15年前に家族から「話しかけてもたびたび気づかない」と指摘されて初めて、聴力の低下に気づいた。その後も低下は続き、2011年4月に障害者手帳を取得した。補聴器を使うが、自分の声が拡声器から放たれているように聞こえる。さまざまな音を同じように拾うため、人の多い場所や自宅では外すことが多くなった。最近は補聴器をつけて人と話すこと自体が煩わしくなった。「引きこもりたくない」との危機感から山登り仲間の飲み会には出席するが、誰とも話さない日もある。
●認定補聴器技能者の荒川秀利さん(64)は、難聴者の家族に障害や症状を理解してもらうために丁寧に説明することがよくある。昨年夏、ある高齢女性が補聴器購入を決めたので家族に説明しようと連絡した。息子は当初、「補聴器ごときで呼びつけるな」と怒った。しかし、補聴器をつけた時の聞こえ方や注意点を丁寧に説明したところ、「説明を受けてよかった」と感謝された。荒川さんは「補聴器をつければ健聴者のように聞こえるようになると誤解されていることがある」と指摘する。補聴器はタイプも聞こえ方もさまざま。無理解な家族から「高い補聴器を買ったのに」と嫌味を言われ、傷つくケースも少なくないという。
●周囲が障害や症状を理解し、難聴者がコミュニケーションをうまく取るにはどうしたらよいだろうか。所沢市の黒河圭介医師(57)は、自身も「感音性難聴」者で、人工内耳をつけて診療にあたる。自らの経験を生かし、難聴者とのやりとりを工夫している。患者の1メートル前に座り、通常の半分くらいのスピードで、口を大きく開けて話すことにしている。マスクはできるだけつけない。耳元で大声で話すことは「うるさいだけで、しっかり認識できないことが多い」と否定的だ。診察では筆談も使う。「難聴者とのコミュニケーションで大事なことは、相手への思いやり。自分が失聴してよくわかった」と話す。
 目黒区で耳鼻咽喉科医院を営み、難聴者と家族のコミュニケーションについて相談に乗る杉内智子医師(59)「食卓の孤独という言葉が物語っているように、難聴の方はみんなが笑っている理由がわからず、疎外感を抱いている場合が少なくない」と話す。「コミュニケーションを取ろうという意欲もなくなると、思いの巡りが狭くなる可能性もあり、まずは家族や周囲の難聴者への理解を深めることが大切」と指摘する。