「共生」を考える  知的障害者の性「守る」超えた教育を

2026/11/03

朝日新聞 2026年10月30日

「知的障害者の性『守る』から『共に学ぶ』へ」の著者、京都教育大学講師の門下祐子さんに話を聞いた。

宮崎県内の特別支援学校で教員をしていた際、知的障害のある生徒への性教育に取り組んだ。その後、全国で特別支援教育にかかわる人たちと情報交換する中で、性教育を年間指導計画に基づいて進めている学校は珍しいと気づいた。

知的障害のある生徒の恋愛や性的行動が一方的に「問題行動」とみなされ、禁止・抑制され、トラブルが生じると転学を迫られる。性について学ぶ機会を十分に保障しないまま、トラブルの責任を問うという矛盾について考えるようになった。

日本では、多様性とジェンダー平等を基盤とし、自らの性行動を選び取るための「包括的性教育」が進んでおらず、教員自身も性について体系的に学ぶ機会が保障されていない。学校現場での対応が、個々の教員や学校の熱意に左右されている。また、学校教育では生徒が自ら発言したり、積極的に行動したりすることは「主体的」として評価されるが、性的なことに関心を示すと「余計なこと」「問題」と受け止められる。障害のある生徒ではさらに顕著で、生徒の主体性が周囲にとって都合のよい範囲では歓迎され、恋愛や性の領域では抑制されるという矛盾がある。背景には、交際することがすぐ性交・出産と結びつけられ、恋愛そのものがリスクとしてとらえられやすいことがあると思う。知的障害者が子どもを産み育てることに対する社会のまなざしも影響しているのではないか。

旧優生保護法が改正され母体保護法となって30年。しかし最近もグループホームで結婚や同居を望む入居者に、施設側が不妊手術を提案していた事実があった。重度知的障害のある娘の月経不順などで母親が医師から、「(どうせ産まないから)月経はなくてもいいよね?」「子宮をとる?」などと提案され、怒りや悲しみにさいなまれたケースを聞いたこともある。着床前検査や出生前検査などの医療技術が進み「より健康な子どもを産む」ことを社会から求められているのでは、と感じる人もいるのではないか。こうした時代だからこそ、知的障害者が子どもを産み育てることへの社会のまなざしは気になる。

「知的障害のある人への性教育や支援について研究している」と話すと、知的障害者に対する無自覚な偏見に満ちた言葉を投げかけられることがある。知的障害のある人の性についてのイメージは、あまりにも一面的でネガティブだ。本人の意思を尊重することよりも、リスク管理や保護に偏りがちな支援のあり方を問い直す必要がある。わたしたち自身も共に学び、互いを「性の権利」を持つ主体として認めあう、その積み重ねが知的障害のある人に対する社会のまなざしを問い直すことにもつながると考えている。