
高次脳機能障害 この社会を生きる 1~12
朝日新聞 2026年7月20日~8月4日
連載の1,2では「オッサンと家族の10年」 友村一紀さん₍55₎と家族の体験が紹介されている。発症から3年経って障害者手帳を取得し、就労支援B型の事業所に通い始めた。自分ではA型に移り障害者雇用枠での就職を思い描いていたが、思うようにいかなかった。その後、カフェを開きたいと学び始め、失敗しながらも神戸で「オッサンズ珈琲KOBE」をオープン、月1回高次脳カフェを開いているという。
3~5では、3歳の時にO157に感染し急性脳症・脳出血を発症した中村太一さん₍26₎と母・千穂さんの体験。小1のとき当事者と家族の会「ハイリハキッズ」に参加し始めた。成長とともに自分の障への苦悩もあった太一さん。中3のとき「どんな気持ちで生きてきたかわかる?」「みんな記憶ができてうらやましい」と感情をぶつけたという。その後、デッサンに打ち込むようになり、表現活動に携わっている。
6,7では、子どもへの支援について、戸田中央メディカルケアグループ本部特別顧問の医師・渡邉修さんの話を紹介している。医療機関と学校との連携が重要と指摘、社会生活そのものがリハビリであるという。
8~10では、夫コウジさん₍64₎が43歳の時くも膜下出血で倒れたのち高次脳機能障害を発症した、イラストレーター・柴本礼さんの体験。深刻さが周囲に理解されずつらかったという柴本さんは、マンガで発信した。「ケアら―である家族への支援が欠かせない」と強く感じているという。
11,12では、30年余り高次脳機能障害の当事者と向き合ってきた脳神経外科医・山口研一郎氏(やまぐちクリニック)が「支援法への思い」を語っている。11では、まだ「高次脳機能障害」という言葉ができる前からの長年の歩みを振り返り、病院で相談しても「命が助かっただけいいと思いなさい」と言われ、行政も「寝たきりでもなく食事も支障ないのであれば支援できない」と。行き場がなかった患者、家族が全国から相談に来た、集まれる場所をつくりたいという思いがあった、という。12では、支援法が「絵に描いた餅にならないようにしなければ」と語る。(以下山口氏)障害の背景には事故や労災といった社会的な要因が大きく、障害を持つと社会復帰が難しい。特に最近は仕事が合理化、デジタル化され、上司や同僚との関係性が希薄になってきたためより復帰が困難になっている。この障害は個人差が大きく、法律にある「適正な雇用管理」ができるかも不安だ。受診できる専門家も少なく、高次脳機能障害に特化した診療報酬もない。各都道府県に支援センターを作るとしているが、どう運用するのか、十分示されていない。高次脳機能障害は、見えない障害と言われるが、医療と福祉のはざまで、社会的にも見えにくい。法律ですべて解決するわけではなく、声を上げ続けなければいけないと思っている。





