<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>障害者の社会参加を支援するコミュニケーション・アシスト・ネットワーク(ＣＡＮ) &#187; 情報ファイル</title>
	<atom:link href="http://www.we-can.or.jp/?cat=9&#038;feed=rss2" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.we-can.or.jp</link>
	<description>言語聴覚障害者の社会参加を支援します。</description>
	<lastBuildDate>Sun, 26 Jul 2026 05:24:27 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.0.4</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/?cat=9&amp;feed=rss2" />
		<item>
		<title>（耕論）やまゆり園事件 10年経って</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3463/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3463/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 26 Jul 2026 05:20:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3463/</guid>
		<description><![CDATA[朝日新聞　2026年7月25日 重い障害がある人を標的にした事件は、社会に巣くう差別意識をあらわにした。19人の命が奪われた相模原市の津久井やまゆり園事件（以下、事件）から26日で10年。社会は変われたのか。 広がる排除あらゆる人に 石地かおるさん（自立生活センター「リングリング」スタッフ） あれだけのことが起きたのに、なぜ「社会をよくしていこう」という方に向かわなかったのか。むしろ排除の対象が広がり、社会はますます悪くなっていると感じている。 幼い頃から「あなたを殺して私も死のうと思った」と自分の存在が歓迎されなかった話を聞かされてきた。小学校に上がる前には「障害者はお荷物だ」というまなざしが世の中にあることに気付いていた。事件は、多くの人が心の中に持っているものを一人の人間が実行したんだと感じた。 事件後は多くの障害者が、外出をためらうほど怖がっていた。そんな障害者の恐怖がどれだけ共感されていただろうか。亡くなった19人は匿名にされたうえ、事件後早い時期から、介護現場の労働環境や親の負担をめぐる報道が目立つようになった。マジョリティーの関心が優先された。 もし19人の健常者が殺されたら、きっと社会全体で悼むだろう。総理大臣が「絶対に許さない」と声明を出したり現場で献花するかもしれない。やまゆり事件ではなかったことだ。事件は健常者と障害者の間の大きな隔たりをあらわにした。 でも、今の社会のありようで排除されるのは障害者だけではない。「外国人は優遇されている」「終末期の延命措置は全額自己負担を」などの訴えがある。「生産性がない」「税金を食いつぶす」と障害者が言われ続けてきたことと地続きだ。そんな考え方が当たり前になれば、次に矛先が向くのは貧困の人かもしれないし、勉強ができない人かもしれない。 あらゆる人がいつ排除されるかわからない社会で、障害者は生き延びてきた。7月26日「やまゆり10年」には事件に抗議し、障害者が生きている姿を見せる街頭アクションを開く。 自他の傷 対話で気づいて 坂上　香さん（ドキュメンタリー映画監督） 事件はすでに風化しつつある。死刑判決が確定してからは加速度的だ。植松死刑囚は自分を深く見つめる機会も、他者を思う気付きも得られないまま。一方社会は「あんな事件を起こしたやつは死んで当然」と思考停止し、外国人差別に代表されるような排除の傾向がより露骨になっている。 この10年で浮き彫りになったのは、日本社会の圧倒的な「対話」の不在だ。 私は30年前、暴力の連鎖を止める取り組みを取材する中で「回復共同体（TC）」というプログラムに出会った。受刑者が語り合うなかで、自らが抱える痛みに気づき、他者に与えた被害を自覚していく。日本で唯一TCを導入する島根県の刑務所に通い、ドキュメンタリー「プリズン・サークル」を制作した。観客は「どうすれば受刑者たちのように語れるのか」と聞いてくる。そんな対話の場は刑務所の外にもない。 植松死刑囚のほかにも、自分を秩序を守る正しい側に位置づける暴力事件を起こした人はいる。何を恐れ、何を守りたいのか、そんな対話ができず、自分の考えに固執する孤独な姿が浮かぶ。 一定の標準から外れると排除される学校教育や就職活動が、若者たちに深い傷を負わせている。 今からでも、それぞれが対話の場を作ったり参加したりすることが必要だ。自他に向き合う対話をあきらめないことだ。 「生産性」問う歴史 知ろう 藤井　渉さん（社会福祉学研究者） 事件があらわにしたことの一つは「社会の役に立つか否か」で選別するという人間観が、社会で支配的だという現実だ。この考え方は戦時中の理論そのものだ。障害者への差別は戦時中もあったが、明確な線引きがあった。傷痍軍人には手厚い支援があった一方で、それ以外の障害者が「穀潰し」「非国民」とされたのだ。「国家の役に立ったか」がポイントだった。 戦後は「社会の役に立たない障害者はコストだ」という考えとして生き続けた。旧優生保護法が生まれ、その後高度成長期と続いた。「生産性」が重視され、序列化が進んだ。障害者は非常に生きづらい時代だった。 「優性思想はよくない」ということが当たり前になった今の社会でも、低流は変わらない。施設の入所条件に不妊手術を要求したり、学校でも職場でも障害者と健常者が安易に分けられていたりと、根本にある障害者へのまなざしは変わっていない。政策や人々の意識によって脈々と作り上げられてきたものが事件とつながっている。 一方で、この10年で障害者に関する施策は充実した。その成果も当事者や親、関わる人たちが何十年も前から連帯し、差別に対抗する論陣を張り、法整備を訴えてきたこととつながっている。 大事なのはこうした歴史を知ることだ。なぜ「生産性が大事」とか「障害者はお荷物だ」と思わされているのか。歴史を振り返れば、それは政策や制度、その中で生きる一人ひとりが作り出した色眼鏡にすぎないとわかるはずだ。その気づきをだれかに話したり、共感する人に出会ったりすることで、新たな連帯が生まれるかもしれない。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞　2026年7月25日</p>
<p>重い障害がある人を標的にした事件は、社会に巣くう差別意識をあらわにした。19人の命が奪われた相模原市の津久井やまゆり園事件（以下、事件）から26日で10年。社会は変われたのか。</p>
<p><strong>広がる排除あらゆる人に</strong><br />
<strong> 石地かおるさん</strong>（自立生活センター「リングリング」スタッフ）<br />
あれだけのことが起きたのに、なぜ「社会をよくしていこう」という方に向かわなかったのか。むしろ排除の対象が広がり、社会はますます悪くなっていると感じている。<br />
幼い頃から「あなたを殺して私も死のうと思った」と自分の存在が歓迎されなかった話を聞かされてきた。小学校に上がる前には「障害者はお荷物だ」というまなざしが世の中にあることに気付いていた。事件は、多くの人が心の中に持っているものを一人の人間が実行したんだと感じた。<br />
事件後は多くの障害者が、外出をためらうほど怖がっていた。そんな障害者の恐怖がどれだけ共感されていただろうか。亡くなった19人は匿名にされたうえ、事件後早い時期から、介護現場の労働環境や親の負担をめぐる報道が目立つようになった。マジョリティーの関心が優先された。<br />
もし19人の健常者が殺されたら、きっと社会全体で悼むだろう。総理大臣が「絶対に許さない」と声明を出したり現場で献花するかもしれない。やまゆり事件ではなかったことだ。事件は健常者と障害者の間の大きな隔たりをあらわにした。<br />
でも、今の社会のありようで排除されるのは障害者だけではない。「外国人は優遇されている」「終末期の延命措置は全額自己負担を」などの訴えがある。「生産性がない」「税金を食いつぶす」と障害者が言われ続けてきたことと地続きだ。そんな考え方が当たり前になれば、次に矛先が向くのは貧困の人かもしれないし、勉強ができない人かもしれない。<br />
あらゆる人がいつ排除されるかわからない社会で、障害者は生き延びてきた。7月26日「やまゆり10年」には事件に抗議し、障害者が生きている姿を見せる街頭アクションを開く。</p>
<p><strong>自他の傷 対話で気づいて</strong><br />
<strong> 坂上　香さん</strong>（ドキュメンタリー映画監督）<br />
事件はすでに風化しつつある。死刑判決が確定してからは加速度的だ。植松死刑囚は自分を深く見つめる機会も、他者を思う気付きも得られないまま。一方社会は「あんな事件を起こしたやつは死んで当然」と思考停止し、外国人差別に代表されるような排除の傾向がより露骨になっている。<br />
この10年で浮き彫りになったのは、日本社会の圧倒的な「対話」の不在だ。<br />
私は30年前、暴力の連鎖を止める取り組みを取材する中で「回復共同体（TC）」というプログラムに出会った。受刑者が語り合うなかで、自らが抱える痛みに気づき、他者に与えた被害を自覚していく。日本で唯一TCを導入する島根県の刑務所に通い、ドキュメンタリー「プリズン・サークル」を制作した。観客は「どうすれば受刑者たちのように語れるのか」と聞いてくる。そんな対話の場は刑務所の外にもない。<br />
植松死刑囚のほかにも、自分を秩序を守る正しい側に位置づける暴力事件を起こした人はいる。何を恐れ、何を守りたいのか、そんな対話ができず、自分の考えに固執する孤独な姿が浮かぶ。<br />
一定の標準から外れると排除される学校教育や就職活動が、若者たちに深い傷を負わせている。<br />
今からでも、それぞれが対話の場を作ったり参加したりすることが必要だ。自他に向き合う対話をあきらめないことだ。</p>
<p><strong>「生産性」問う歴史 知ろう</strong><br />
<strong> 藤井　渉さん</strong>（社会福祉学研究者）<br />
事件があらわにしたことの一つは「社会の役に立つか否か」で選別するという人間観が、社会で支配的だという現実だ。この考え方は戦時中の理論そのものだ。障害者への差別は戦時中もあったが、明確な線引きがあった。傷痍軍人には手厚い支援があった一方で、それ以外の障害者が「穀潰し」「非国民」とされたのだ。「国家の役に立ったか」がポイントだった。<br />
戦後は「社会の役に立たない障害者はコストだ」という考えとして生き続けた。旧優生保護法が生まれ、その後高度成長期と続いた。「生産性」が重視され、序列化が進んだ。障害者は非常に生きづらい時代だった。<br />
「優性思想はよくない」ということが当たり前になった今の社会でも、低流は変わらない。施設の入所条件に不妊手術を要求したり、学校でも職場でも障害者と健常者が安易に分けられていたりと、根本にある障害者へのまなざしは変わっていない。政策や人々の意識によって脈々と作り上げられてきたものが事件とつながっている。<br />
一方で、この10年で障害者に関する施策は充実した。その成果も当事者や親、関わる人たちが何十年も前から連帯し、差別に対抗する論陣を張り、法整備を訴えてきたこととつながっている。<br />
大事なのはこうした歴史を知ることだ。なぜ「生産性が大事」とか「障害者はお荷物だ」と思わされているのか。歴史を振り返れば、それは政策や制度、その中で生きる一人ひとりが作り出した色眼鏡にすぎないとわかるはずだ。その気づきをだれかに話したり、共感する人に出会ったりすることで、新たな連帯が生まれるかもしれない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3463</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3463/" />
	</item>
		<item>
		<title>障害者の活躍 もっと！　法定雇用率2.5％→2.7％へ</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3461/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3461/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 05:33:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3461/</guid>
		<description><![CDATA[2026年5月25日　朝日新聞 7月に法定雇用率が2.5％から2.7%に引き上げられる。障害者の仕事の幅を広げようと、取り組む企業がある。単純な作業にとどまらない障害者の「活躍」の現場～サントリー、セイコーエプソン～を紹介している。 サントリーでは、「お客様とコミュニケーションをとって、お酒を売りたい」という軽度知的障害がある人の営業サポートの実例。 セイコーエプソンでは、特例子会社での制度を見直し、支援スタッフが全員の人材を評価、成果を給料に反映したり、管理職のへの道を開いた。 他にも、中小企業の取り組みを紹介。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2026年5月25日　朝日新聞</p>
<p>7月に法定雇用率が2.5％から2.7%に引き上げられる。障害者の仕事の幅を広げようと、取り組む企業がある。単純な作業にとどまらない障害者の「活躍」の現場～サントリー、セイコーエプソン～を紹介している。</p>
<p>サントリーでは、「お客様とコミュニケーションをとって、お酒を売りたい」という軽度知的障害がある人の営業サポートの実例。</p>
<p>セイコーエプソンでは、特例子会社での制度を見直し、支援スタッフが全員の人材を評価、成果を給料に反映したり、管理職のへの道を開いた。</p>
<p>他にも、中小企業の取り組みを紹介。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3461</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3461/" />
	</item>
		<item>
		<title>脳傷つき異変 息子のほかにも　　見えない障害「社会で支えて」</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3459/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3459/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 05:19:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3459/</guid>
		<description><![CDATA[2026年7月6日　朝日新聞 神奈川県の東川悦子さん(86)の長男（58）は25歳だった1993年、交通事故にあった。意識不明で、50日間生死の境をさまよった。やがて意識が回復し、退院したが、新しいことを記憶できず、感情を制御できないなど、以前とは様子が違う。復職もできず、自暴自棄になる長男を前に、どうすることもできない毎日だった。 病気や事故など脳が傷つき、記憶などに支障が出る「高次脳機能障害」。当時、医療現場ではこの言葉が使われていたが、正式な診断名ではなかった。身体障害を伴わないため、障害者手帳を取得できず、支援を受けられなかった。 救命救急の医療体制が進み、助かる命は増えた。後遺障害を抱えながら苦しんでいる人は増えているのではないか。東川さんは医師に疑問をぶつけた。「息子のような患者はたくさんいるだろうに、どうして当事者や家族を支える会がないのですか？」すると医師は言った。「やってください、必要は感じているけど旗を振ってくれる人がいないのです」 高次脳機能障害とともに生きる人は、国内で少なくとも約23万人と推計される。今年4月、こうした人たちを支援する「高次脳機能障害者支援法」が施行された。法制化への活動は30年ほど前、親たちの声から始まった。 1997年、神奈川県内に当事者と家族の会が発足。同じころ名古屋でも親たちが中心となり、会が立ち上がった。1998年、日本で初めてのシンポジウムが開かれ、2000年には各地の会が集まり、全国組織となる「日本脳外傷友の会」が発足。理事長に就いた東川さんは厚生省(当時)にも出向き、実態調査と支援事業の実施を求めた。 高次脳機能障害は今も、社会に広く知られているとは言えない。「支援法はできたが課題は多い。これからが本番です」会の名称も「日本高次脳機能障害友の会」となった。現理事長の片岡保憲さん₍48₎は支援法を実現させるために奔走してきた。「中途障害である高次脳機能障害は、誰もが当事者になりうる。そのときに、支援も理解も不十分でいいのか。この問いを社会に広げたい。自分事にたぐり寄せる想像力を持ってほしい。支援法がそのきっかけになれば、と願っている」 ＊このほか、「自立手助け 職場や学校に役割」、「いちからわかる！高次脳機能障害とは？」、「忘れても 何度もうなづきあえる場所」当事者カフェ、の記事が掲載されてる]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2026年7月6日　朝日新聞</p>
<p>神奈川県の東川悦子さん(86)の長男（58）は25歳だった1993年、交通事故にあった。意識不明で、50日間生死の境をさまよった。やがて意識が回復し、退院したが、新しいことを記憶できず、感情を制御できないなど、以前とは様子が違う。復職もできず、自暴自棄になる長男を前に、どうすることもできない毎日だった。</p>
<p>病気や事故など脳が傷つき、記憶などに支障が出る「高次脳機能障害」。当時、医療現場ではこの言葉が使われていたが、正式な診断名ではなかった。身体障害を伴わないため、障害者手帳を取得できず、支援を受けられなかった。</p>
<p>救命救急の医療体制が進み、助かる命は増えた。後遺障害を抱えながら苦しんでいる人は増えているのではないか。東川さんは医師に疑問をぶつけた。「息子のような患者はたくさんいるだろうに、どうして当事者や家族を支える会がないのですか？」すると医師は言った。「やってください、必要は感じているけど旗を振ってくれる人がいないのです」</p>
<p>高次脳機能障害とともに生きる人は、国内で少なくとも約23万人と推計される。今年4月、こうした人たちを支援する「高次脳機能障害者支援法」が施行された。法制化への活動は30年ほど前、親たちの声から始まった。</p>
<p>1997年、神奈川県内に当事者と家族の会が発足。同じころ名古屋でも親たちが中心となり、会が立ち上がった。1998年、日本で初めてのシンポジウムが開かれ、2000年には各地の会が集まり、全国組織となる「日本脳外傷友の会」が発足。理事長に就いた東川さんは厚生省(当時)にも出向き、実態調査と支援事業の実施を求めた。</p>
<p>高次脳機能障害は今も、社会に広く知られているとは言えない。「支援法はできたが課題は多い。これからが本番です」会の名称も「日本高次脳機能障害友の会」となった。現理事長の片岡保憲さん₍48₎は支援法を実現させるために奔走してきた。「中途障害である高次脳機能障害は、誰もが当事者になりうる。そのときに、支援も理解も不十分でいいのか。この問いを社会に広げたい。自分事にたぐり寄せる想像力を持ってほしい。支援法がそのきっかけになれば、と願っている」</p>
<p>＊このほか、「自立手助け 職場や学校に役割」、「いちからわかる！高次脳機能障害とは？」、「忘れても 何度もうなづきあえる場所」当事者カフェ、の記事が掲載されてる</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3459</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3459/" />
	</item>
		<item>
		<title>皆が笑えるノーマライゼーション</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3450/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3450/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 20 Jun 2026 02:39:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3450/</guid>
		<description><![CDATA[朝日新聞　2026年5月30日 「週刊ヤングマガジン」(講談社)に連載中の漫画「ローワライ」が話題だ。主人公の大学生は聴覚障害があるろうあ者。聞こえる人と組んで漫才の道を進むストーリーだ。「ノーマライゼーション」の新しい形を、漫画を通して考えてみた。 手話を見た女性から障害をバカにされ、怒りをぶちまける主人公・平里。学生バイトの手話通訳者・嶋から、お笑い芸人になれば怒りも何もかも全部、人を笑わせるエネルギーになる、と誘われる。平里は「笑われるんは嫌や」「全員の口、開かせたる」と応じ、2人は漫才師として歩み始める。 障害者が主人公のドラマや作品は少なくないが、ともすれば障害は「感動」をいざなうための装置になりがちだ。著者・雪野朝哉さんは「平里はいかつい大学生。『聞こえないこと』が普通で、『当たり前』。等身大のひとりの人間として、日常をコメディーとして見せたい」と話す。親友の家族が聴覚障害者だった。アルバイトで聞こえにくい子どもと出会ったりする中で「自分たちなりに考え、工夫し、楽しく生きている。変に同情したり、過度にかまったりするのは失礼なこと」と思うようになった。 「漫画でできないものは何だろう」と考え、「どう頑張っても漫画から音は聞こえてこない」ことに着眼。「主人公も音が聞こえない設定にすれば、読者は主人公とよりリンクして読める」とひらめいた。 「ノーマライゼーション」とは、社会的マイノリティーがほかの人たちと同じように暮らせる社会をめざそうという理念だ。保護や支援のための特別な制度やサービスを作るのではなく、障害の有無にかかわらずだれもが暮らしやすい環境を作る方に主眼がある。 「ローワライ」は漫才と「聞こえない」を組み合わせ、漫画という2次元の中に、誰もが「笑える」世界を作り出した。雪野さんは「おカタい話でもヒューマンドラマでもなく、あくまでもコメディー。楽しく読めて、生活の中でプラスの気持ちになるための一部になれればうれしい」と連載を続ける。 お涙ちょうだいじゃないのがいい　監修 全日本ろうあ連盟 連盟の山根昭次さん₍70₎と兵頭毅さん(68)を訪ねた。ろう者や障害をマイナスと捉えていない点に感心したという。「ろう者ならではの笑いの個性が発揮できていて、聞こえない人も聞こえる人も楽しめる。それぞれの文化を融合させた漫画だと思った」「お涙ちょうだい、感動モノというところが全くない。人権もさらっと触れる、そこがいい」と話す。 手話は、ろうあ連盟が出している「わたしたちの手話　学習辞典」をもとに書いてもらうが、辞典に乗っていない言葉が出てくる。2人で相談し、動画にとって雪野さんに送っている。兵頭さんは、「わたしたちの年代だと、漫才や落語は『縁がないもの』だった。昔はテレビの字幕もなかったから内容がわからない、だから興味もわかなかった」という。時代は移り、漫才や演劇で手話通訳などをつける公演も増えてきた。若い世代は聞こえる人たちとの交流も多いという。「ローワライ」のフリップを使った漫才の場面も気に入っている。「聞こえないとか、聞こえるとかに関係なく漫才ができる。それが一番いい。新しい発想だ。とても期待している」]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞　2026年5月30日</p>
<p>「週刊ヤングマガジン」(講談社)に連載中の漫画「ローワライ」が話題だ。主人公の大学生は聴覚障害があるろうあ者。聞こえる人と組んで漫才の道を進むストーリーだ。「ノーマライゼーション」の新しい形を、漫画を通して考えてみた。</p>
<p>手話を見た女性から障害をバカにされ、怒りをぶちまける主人公・平里。学生バイトの手話通訳者・嶋から、お笑い芸人になれば怒りも何もかも全部、人を笑わせるエネルギーになる、と誘われる。平里は「笑われるんは嫌や」「全員の口、開かせたる」と応じ、2人は漫才師として歩み始める。</p>
<p>障害者が主人公のドラマや作品は少なくないが、ともすれば障害は「感動」をいざなうための装置になりがちだ。著者・雪野朝哉さんは「平里はいかつい大学生。『聞こえないこと』が普通で、『当たり前』。等身大のひとりの人間として、日常をコメディーとして見せたい」と話す。親友の家族が聴覚障害者だった。アルバイトで聞こえにくい子どもと出会ったりする中で「自分たちなりに考え、工夫し、楽しく生きている。変に同情したり、過度にかまったりするのは失礼なこと」と思うようになった。</p>
<p>「漫画でできないものは何だろう」と考え、「どう頑張っても漫画から音は聞こえてこない」ことに着眼。「主人公も音が聞こえない設定にすれば、読者は主人公とよりリンクして読める」とひらめいた。</p>
<p>「ノーマライゼーション」とは、社会的マイノリティーがほかの人たちと同じように暮らせる社会をめざそうという理念だ。保護や支援のための特別な制度やサービスを作るのではなく、障害の有無にかかわらずだれもが暮らしやすい環境を作る方に主眼がある。</p>
<p>「ローワライ」は漫才と「聞こえない」を組み合わせ、漫画という2次元の中に、誰もが「笑える」世界を作り出した。雪野さんは「おカタい話でもヒューマンドラマでもなく、あくまでもコメディー。楽しく読めて、生活の中でプラスの気持ちになるための一部になれればうれしい」と連載を続ける。</p>
<p><strong>お涙ちょうだいじゃないのがいい　監修 全日本ろうあ連盟</strong><br />
連盟の山根昭次さん₍70₎と兵頭毅さん(68)を訪ねた。ろう者や障害をマイナスと捉えていない点に感心したという。「ろう者ならではの笑いの個性が発揮できていて、聞こえない人も聞こえる人も楽しめる。それぞれの文化を融合させた漫画だと思った」「お涙ちょうだい、感動モノというところが全くない。人権もさらっと触れる、そこがいい」と話す。</p>
<p>手話は、ろうあ連盟が出している「わたしたちの手話　学習辞典」をもとに書いてもらうが、辞典に乗っていない言葉が出てくる。2人で相談し、動画にとって雪野さんに送っている。兵頭さんは、「わたしたちの年代だと、漫才や落語は『縁がないもの』だった。昔はテレビの字幕もなかったから内容がわからない、だから興味もわかなかった」という。時代は移り、漫才や演劇で手話通訳などをつける公演も増えてきた。若い世代は聞こえる人たちとの交流も多いという。「ローワライ」のフリップを使った漫才の場面も気に入っている。「聞こえないとか、聞こえるとかに関係なく漫才ができる。それが一番いい。新しい発想だ。とても期待している」</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3450</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3450/" />
	</item>
		<item>
		<title>出生前検査　診断後の「支援」があってこそ</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3438/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3438/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 02 Jun 2026 04:50:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3438/</guid>
		<description><![CDATA[朝日新聞　5月24日 妊婦の血液から胎児の染色体を調べる出生前検査(NIPT)の新たな臨床研究が2月から始まった。医療現場が考えるべき当事者や家族への支援とは。ダウン症の乳児とその両親を対象にした「集団外来」などに取り組む、埼玉県立小児医療センター遺伝科医長の大橋博文さんに聞いた。 集団外来は、1歳までの赤ちゃんを対象とした、月1回、半年間のプログラム。理学療法士や作業療法士、栄養士らが発達を促す運動や遊び、栄養などの情報を提供する。臨床心理士やソーシャルワーカー、看護師、遺伝カウンセラーらも協力して運営している。毎年60～80人の赤ちゃんとその親が参加している。ダウン症診断後の当事者や家族への支援が不足しているとの問題意識が出発点で、1989年に始まった。診断された後、どういうふうに育てたらよいのかと、不安と孤独の中にある家族は少なくない。当事者同士が集まり、安心して話せる場として、集団外来の意義は大きいと考えている。現在は、ダウン症以外の先天性疾患でも集団外来を運営している。 家族に「ほしかった情報」を尋ねたアンケートでは、「合併症」をあげた人は4割弱だったが、「発達」「育児」「療育」がそれぞれ8割に上った。日常の育児にかかわる情報が求められていると思う。 2月から、すべての染色体情報を調べる臨床研究が始まり、これまで対象だった3つの疾患以外に拡大する。不安を抱く妊婦さんは増えていく可能性がある。さらに今後、これが一般的な検査になっていけば、「受けておかなければいけない」「安心のために受けよう」という風潮が強まる可能性もある。親としてしっかり子どもを育てていく力があり、幸せを実感している家族の姿を見てきた。そうした家族のあり方が損なわれることはないのか、という懸念がある。また、対象疾患が認識されていく結果、多様性が重視されない社会を招く恐れはないのか、漠然とした不安感もある。 科学技術の進歩とともに、それに伴う「支援」が常に存在しないといけない。小児科医としては、技術の進歩よりも支援のための努力が常に上回るべきだ、と考える。その努力があってこそ、新たな技術を社会として受け入れられるのではないだろうか。 集団外来のような取り組みが、診療報酬によって十分に評価されることが必要だ。遺伝学の知識を持った医療従事者を増やす必要もある。遺伝学は「多様性」の学問であり、教育現場で広めていきたい。遺伝学の考え方でいえば、多様性はあって当たり前、いろんな人がいるのが前提だ。障害のある人の困難は、多くの人が抱える生活上の生きにくさを増幅する形であらわしている、という見方もできる。障がいのある人の困難に対応することは、この社会の多くの人の生きやすさにもつながる。こうした遺伝学の考え方を、幼いおさないときから段階的に学んでいく。科学技術が進む現代社会で必要なことだと思う。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞　5月24日</p>
<p>妊婦の血液から胎児の染色体を調べる出生前検査(NIPT)の新たな臨床研究が2月から始まった。医療現場が考えるべき当事者や家族への支援とは。ダウン症の乳児とその両親を対象にした「集団外来」などに取り組む、埼玉県立小児医療センター遺伝科医長の大橋博文さんに聞いた。</p>
<p>集団外来は、1歳までの赤ちゃんを対象とした、月1回、半年間のプログラム。理学療法士や作業療法士、栄養士らが発達を促す運動や遊び、栄養などの情報を提供する。臨床心理士やソーシャルワーカー、看護師、遺伝カウンセラーらも協力して運営している。毎年60～80人の赤ちゃんとその親が参加している。ダウン症診断後の当事者や家族への支援が不足しているとの問題意識が出発点で、1989年に始まった。診断された後、どういうふうに育てたらよいのかと、不安と孤独の中にある家族は少なくない。当事者同士が集まり、安心して話せる場として、集団外来の意義は大きいと考えている。現在は、ダウン症以外の先天性疾患でも集団外来を運営している。</p>
<p>家族に「ほしかった情報」を尋ねたアンケートでは、「合併症」をあげた人は4割弱だったが、「発達」「育児」「療育」がそれぞれ8割に上った。日常の育児にかかわる情報が求められていると思う。</p>
<p>2月から、すべての染色体情報を調べる臨床研究が始まり、これまで対象だった3つの疾患以外に拡大する。不安を抱く妊婦さんは増えていく可能性がある。さらに今後、これが一般的な検査になっていけば、「受けておかなければいけない」「安心のために受けよう」という風潮が強まる可能性もある。親としてしっかり子どもを育てていく力があり、幸せを実感している家族の姿を見てきた。そうした家族のあり方が損なわれることはないのか、という懸念がある。また、対象疾患が認識されていく結果、多様性が重視されない社会を招く恐れはないのか、漠然とした不安感もある。</p>
<p>科学技術の進歩とともに、それに伴う「支援」が常に存在しないといけない。小児科医としては、技術の進歩よりも支援のための努力が常に上回るべきだ、と考える。その努力があってこそ、新たな技術を社会として受け入れられるのではないだろうか。</p>
<p>集団外来のような取り組みが、診療報酬によって十分に評価されることが必要だ。遺伝学の知識を持った医療従事者を増やす必要もある。遺伝学は「多様性」の学問であり、教育現場で広めていきたい。遺伝学の考え方でいえば、多様性はあって当たり前、いろんな人がいるのが前提だ。障害のある人の困難は、多くの人が抱える生活上の生きにくさを増幅する形であらわしている、という見方もできる。障がいのある人の困難に対応することは、この社会の多くの人の生きやすさにもつながる。こうした遺伝学の考え方を、幼いおさないときから段階的に学んでいく。科学技術が進む現代社会で必要なことだと思う。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3438</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3438/" />
	</item>
		<item>
		<title>学校をひらく　同じ場で それぞれの学びを（一般社団法人UNIVA理事　野口晃菜さん寄稿）</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3436/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3436/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 02 Jun 2026 03:33:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3436/</guid>
		<description><![CDATA[朝日新聞　2026年4月15日 「インクルーシブ教育」は、「障害のある子どもとない子どもが共に学ぶこと」と定義されることが多いが、ただ多様な子どもが同じ場にいることではなく、多様な子どもがいることを学校の「ふつう」にしていく、そのために学校のあり方を変革していくことが重要だ。 現在は、通常の学級には教師が1人、そして学習指導要領で学ぶべき目標や内容などが決められている。つまり、通常学級に在籍したら、全員が同じ目標を同じペースで学ぶ前提になっている。目標を変えたり、学ぶペースや方法を大きく変えたりする場合は、特別支援学級に在籍すれば、8人に対して1人の先生がおり、「特別の教育課程」を編成できる。特別支援学校では、教材教具が障害ごとに整備されており、先生もさらに多く配置されている。障害のある子どもも通常の学級に在籍できるが、その場合は基本的に他の子どもと同じ構造の中で学ぶシステムになっている。 特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもも「最大限」「ふつうの教室」に在籍する子どもたちと共に学ぶ機会を設ける「交流および共同学習」の制度もあるが、その機会は年に2～3回しかない。それで果たして「共生社会」につながるのだろうか。 障害のある子どもやその保護者からすると、近隣の学校に通いたいけれど、それでは必要な学びが得られない。一方で、遠くの特別支援学校に在籍すると、地域の人と日常を共にする機会が失われる。さらに、教職員からしても、通常の学級で最大限多様な子どもの学びを保障したいけれど、一人で頑張らざるを得ない、その子の学びを保障しようとしたら別の場への在籍を勧めないと、資源が追加されない。インクルーシブな学校づくりをしたい、インクルーシブな場で学びたい、と教職員や保護者、子ども自身が願ったとしても、在籍する場と教育課程、さらに資源がひもづいている構造が大きな障壁になっている。 現在、中央教育審議会では、学校指導要領の改訂に向けた議論が行われている。2025年9月の論点整理では、①「主体的・対話的で深い学び」の実装②多様性の包摂③実現可能性の確保の3つが柱として掲げられている。②が教育全体の方針として掲げられたのは初めてだろう。この方針は、教育活動全般の土台に「多様性の包摂」を置く、ということだ。 自分たちが想定できる「多様性」には限界があること、つまり「多様性」や「共生社会」について、大人は子どもたちに「教える」立場ではなく、「共に学ぶ立場」であることを踏まえていきたい。その上で、自分と異なる価値観や背景のある他社と対話をしてみるところから一緒に始めてみよう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞　2026年4月15日</p>
<p>「インクルーシブ教育」は、「障害のある子どもとない子どもが共に学ぶこと」と定義されることが多いが、ただ多様な子どもが同じ場にいることではなく、多様な子どもがいることを学校の「ふつう」にしていく、そのために学校のあり方を変革していくことが重要だ。</p>
<p>現在は、通常の学級には教師が1人、そして学習指導要領で学ぶべき目標や内容などが決められている。つまり、通常学級に在籍したら、全員が同じ目標を同じペースで学ぶ前提になっている。目標を変えたり、学ぶペースや方法を大きく変えたりする場合は、特別支援学級に在籍すれば、8人に対して1人の先生がおり、「特別の教育課程」を編成できる。特別支援学校では、教材教具が障害ごとに整備されており、先生もさらに多く配置されている。障害のある子どもも通常の学級に在籍できるが、その場合は基本的に他の子どもと同じ構造の中で学ぶシステムになっている。</p>
<p>特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもも「最大限」「ふつうの教室」に在籍する子どもたちと共に学ぶ機会を設ける「交流および共同学習」の制度もあるが、その機会は年に2～3回しかない。それで果たして「共生社会」につながるのだろうか。</p>
<p>障害のある子どもやその保護者からすると、近隣の学校に通いたいけれど、それでは必要な学びが得られない。一方で、遠くの特別支援学校に在籍すると、地域の人と日常を共にする機会が失われる。さらに、教職員からしても、通常の学級で最大限多様な子どもの学びを保障したいけれど、一人で頑張らざるを得ない、その子の学びを保障しようとしたら別の場への在籍を勧めないと、資源が追加されない。インクルーシブな学校づくりをしたい、インクルーシブな場で学びたい、と教職員や保護者、子ども自身が願ったとしても、在籍する場と教育課程、さらに資源がひもづいている構造が大きな障壁になっている。</p>
<p>現在、中央教育審議会では、学校指導要領の改訂に向けた議論が行われている。2025年9月の論点整理では、①「主体的・対話的で深い学び」の実装②多様性の包摂③実現可能性の確保の3つが柱として掲げられている。②が教育全体の方針として掲げられたのは初めてだろう。この方針は、教育活動全般の土台に「多様性の包摂」を置く、ということだ。</p>
<p>自分たちが想定できる「多様性」には限界があること、つまり「多様性」や「共生社会」について、大人は子どもたちに「教える」立場ではなく、「共に学ぶ立場」であることを踏まえていきたい。その上で、自分と異なる価値観や背景のある他社と対話をしてみるところから一緒に始めてみよう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3436</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3436/" />
	</item>
		<item>
		<title>悩み抜き 会えたあなた　出生前検査で「ダウン症」向き合った家族</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3433/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3433/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 01 Jun 2026 03:17:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3433/</guid>
		<description><![CDATA[朝日新聞　2026年4月6日 妊婦の血液で胎児の染色体を調べる出生前検査(NIPT)が広がっている。検査で「陽性」となった時、孤独と焦りを感じながら、家族は悩んでいる。 2025年11月、ダウン症の本人や家族、専門家らが集まる学会で初めての試みとして「本人座長」がシンポジウムを紹介した。兵庫県の上村眞穂さん₍16₎は「出生前検査」の座長を務めた。眞穂さんが生まれた頃、NIPTはまだなかった。母親の直美さんは妊婦13週のときエコー検査で「ダウン症」の可能性があると指摘された。確定検査となる羊水検査を受けるか、直美さんは悩んだ。もし検査でダウン症とわかったら、妊娠をそこで終えるかという選択肢が出てくる。ダウン症について本で調べてみたものの、怖くなった。どんな子も産み育てるという強い思いがあったわけではない。考え続けた結果、「自分の判断でこの子の命を奪うことはできない」という気持ちが強かった。生むと決め、羊水検査は受けなかった。出生前に分かった分、備えられたこともある。おなかにいたときから心臓に病気がある可能性が分かり、出産は小児循環器科もある病院を選んだ。 眞穂さんは今は、大阪府内の高等専修学校に1人で通っている。ダンス部に入り、とても楽しそうだ。母の直美さんは「今の一瞬を大事にすることを眞穂に教えてもらった」と話す。ダウン症の親子サークル代表などをしている直美さんは、「NIPTで陽性となったが、どうやって育てたらいいか、仕事は続けられるのか」といった質問を寄せられる今は保育園などの受け入れが広がり、放課後デイサービスも充実している。「社会がよい方向に変わってきていることは間違いない」と直美さんは言う。 シンポジウムには、ダウン症のある娘を育てる別の女性も登壇し、「それぞれの家族が悩み抜いて決めたことを尊重する」と前置きした上で「同じ悩みを抱える家族が心穏やかに過ごせるように」と、体験を話した。不妊治療の末に授かった第1子、NIPTで陽性、羊水検査でも陽性だった。すでに妊娠17週に入り、赤ちゃんはよく動くようになっていた。夫婦で腹を割って話すことが難しいまま20週を過ぎ、「最後はこの子の生命力に委ねよう」と決断した。女性は、親にも周りの友人にも悩みを打ち明けられずに悩みを抱えていたことを率直に語った。「これからも毎日大好きだよ、愛してるよ、と伝えていきたい」と締めくくった。 日本ダウン症協会では、女性の話の内容をHP(http://jdss.or.jp/)に掲載している。 2013年から始まったNIPTは検査数が増え、24年度に学会認証施設で実施した妊婦は6万3千人。うち1.1％に陽性結果が出ている。過去には、陽性が確定すると、9割の人が妊娠の中断を選択しているデータもある。 日本ダウン症協会はダウン症のことを正しく知ってもらうための啓発活動を続けている。協会の理事・水戸川真由美さんは「どんな子どもも安心して育つ社会になること、妊娠した人がおめでとうと言われる社会であることをめざしていきたい」。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞　2026年4月6日</p>
<p>妊婦の血液で胎児の染色体を調べる出生前検査(NIPT)が広がっている。検査で「陽性」となった時、孤独と焦りを感じながら、家族は悩んでいる。</p>
<p>2025年11月、ダウン症の本人や家族、専門家らが集まる学会で初めての試みとして「本人座長」がシンポジウムを紹介した。兵庫県の上村眞穂さん₍16₎は「出生前検査」の座長を務めた。眞穂さんが生まれた頃、NIPTはまだなかった。母親の直美さんは妊婦13週のときエコー検査で「ダウン症」の可能性があると指摘された。確定検査となる羊水検査を受けるか、直美さんは悩んだ。もし検査でダウン症とわかったら、妊娠をそこで終えるかという選択肢が出てくる。ダウン症について本で調べてみたものの、怖くなった。どんな子も産み育てるという強い思いがあったわけではない。考え続けた結果、「自分の判断でこの子の命を奪うことはできない」という気持ちが強かった。生むと決め、羊水検査は受けなかった。出生前に分かった分、備えられたこともある。おなかにいたときから心臓に病気がある可能性が分かり、出産は小児循環器科もある病院を選んだ。</p>
<p>眞穂さんは今は、大阪府内の高等専修学校に1人で通っている。ダンス部に入り、とても楽しそうだ。母の直美さんは「今の一瞬を大事にすることを眞穂に教えてもらった」と話す。ダウン症の親子サークル代表などをしている直美さんは、「NIPTで陽性となったが、どうやって育てたらいいか、仕事は続けられるのか」といった質問を寄せられる今は保育園などの受け入れが広がり、放課後デイサービスも充実している。「社会がよい方向に変わってきていることは間違いない」と直美さんは言う。</p>
<p>シンポジウムには、ダウン症のある娘を育てる別の女性も登壇し、「それぞれの家族が悩み抜いて決めたことを尊重する」と前置きした上で「同じ悩みを抱える家族が心穏やかに過ごせるように」と、体験を話した。不妊治療の末に授かった第1子、NIPTで陽性、羊水検査でも陽性だった。すでに妊娠17週に入り、赤ちゃんはよく動くようになっていた。夫婦で腹を割って話すことが難しいまま20週を過ぎ、「最後はこの子の生命力に委ねよう」と決断した。女性は、親にも周りの友人にも悩みを打ち明けられずに悩みを抱えていたことを率直に語った。「これからも毎日大好きだよ、愛してるよ、と伝えていきたい」と締めくくった。</p>
<p>日本ダウン症協会では、女性の話の内容をHP(http://jdss.or.jp/)に掲載している。</p>
<p>2013年から始まったNIPTは検査数が増え、24年度に学会認証施設で実施した妊婦は6万3千人。うち1.1％に陽性結果が出ている。過去には、陽性が確定すると、9割の人が妊娠の中断を選択しているデータもある。</p>
<p>日本ダウン症協会はダウン症のことを正しく知ってもらうための啓発活動を続けている。協会の理事・水戸川真由美さんは「どんな子どもも安心して育つ社会になること、妊娠した人がおめでとうと言われる社会であることをめざしていきたい」。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3433</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3433/" />
	</item>
		<item>
		<title>結局、日本社会は障害者に慣れてない　作家・市川沙央さん 書面インタビュー</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3431/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3431/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 01 Jun 2026 00:37:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3431/</guid>
		<description><![CDATA[2026年3月19日 東京パラリンピック開催から5年、新設スタジアムなどでバリアフリー化が進む一方、障害者が気軽に観戦できる環境が整っていない施設も多い。重度障害者である芥川賞作家の市川沙央さんが書面インタビューに応じ、課題や改善すべき点などについて以下のようにつづった。 寝たきりの方・障碍者には一番楽な娯楽であり、情報源としてテレビをずっと見ている。スポーツも当然よく見ている。私はフィギュアケートの浅田真央さんに魅了されていた。チャレンジ精神と競技時の融合の高みへと挑む姿に感銘を受ける。 スポーツ観戦では、楽しんでいるのは、リアルタイム性、世の中との一体感、やり直しのきかない緊張感。私の場合は何メートルか歩くのがフルマラソンみたいなものなので、スポーツ選手のメンタルコントロールのエピソードなどに共感するし、参考になる。 以前都議会の中継で国立競技場の車いす席の数について質疑応答をしていたが、政局に関係のない質疑が続くのにじれた政治解説者が、「くだらないことやってるなあと思いますね」と吐き捨てた。私は「オリンピックスタジアムの車いす席はくだらないことなんでしょうか⁈」と根に持っている。オプション、プラスα、福祉の施策や予算でやるやらないは自由、といった感覚がはびこっているように思う。しかし私は、障害がある人々に対する公平性の確保は真ん中においてやることだと思っている。バリアフリーは最初から想定して組み込んでおいた方が後から改修するよりコストがかからない。公平性の確保（合理的的配慮）のために対話して調整するという歩み寄りが見られないなら、よりコストのかかる対立が待っているだけだ、という原理を社会が肝に銘じよう。 2000年前後にコンサートに行ったことがある。車いす席はたいてい後方にあり、観客が総立ちになるライブではステージが見えないことが課題だった。その経験から車いす席改善の署名集めをネット上でやっていた。SNSなどを見ていると、25年経った今もあまり変わっていないのかなと感じる。個々の興行の運営以前に、建物の設計段階で課題があると思う。国立劇場の建て替えが予定されているが、まさか文化芸術の殿堂の新築が包摂性に欠けることにはならないでほしい。 あらかじめ多様な人の存在とニーズを想定し、構えておくことは商売上の強みになる。しかし普段視界に入らないものは忘れられていく。結局、日本社会は障害者に慣れていない。様々な障害者を街で見かけること、慣れること、障害者が出かけやすい社会であることはつながっている。自国にネガティブな歴史よりポジティブな歴史がある方がうれしく誇らしいのは私もあなたも同じだと思う。「誰でもトイレ」とか「点字ブロック」とか、バリアフリーで日本が誇れる部分はたくさんある。将来の子どもたちが日本人としての自己肯定感を高められるように、誇れる日本をいっしょに作っていこうじゃありませんか。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2026年3月19日</p>
<p>東京パラリンピック開催から5年、新設スタジアムなどでバリアフリー化が進む一方、障害者が気軽に観戦できる環境が整っていない施設も多い。重度障害者である芥川賞作家の市川沙央さんが書面インタビューに応じ、課題や改善すべき点などについて以下のようにつづった。</p>
<p>寝たきりの方・障碍者には一番楽な娯楽であり、情報源としてテレビをずっと見ている。スポーツも当然よく見ている。私はフィギュアケートの浅田真央さんに魅了されていた。チャレンジ精神と競技時の融合の高みへと挑む姿に感銘を受ける。</p>
<p>スポーツ観戦では、楽しんでいるのは、リアルタイム性、世の中との一体感、やり直しのきかない緊張感。私の場合は何メートルか歩くのがフルマラソンみたいなものなので、スポーツ選手のメンタルコントロールのエピソードなどに共感するし、参考になる。</p>
<p>以前都議会の中継で国立競技場の車いす席の数について質疑応答をしていたが、政局に関係のない質疑が続くのにじれた政治解説者が、「くだらないことやってるなあと思いますね」と吐き捨てた。私は「オリンピックスタジアムの車いす席はくだらないことなんでしょうか⁈」と根に持っている。オプション、プラスα、福祉の施策や予算でやるやらないは自由、といった感覚がはびこっているように思う。しかし私は、障害がある人々に対する公平性の確保は真ん中においてやることだと思っている。バリアフリーは最初から想定して組み込んでおいた方が後から改修するよりコストがかからない。公平性の確保（合理的的配慮）のために対話して調整するという歩み寄りが見られないなら、よりコストのかかる対立が待っているだけだ、という原理を社会が肝に銘じよう。</p>
<p>2000年前後にコンサートに行ったことがある。車いす席はたいてい後方にあり、観客が総立ちになるライブではステージが見えないことが課題だった。その経験から車いす席改善の署名集めをネット上でやっていた。SNSなどを見ていると、25年経った今もあまり変わっていないのかなと感じる。個々の興行の運営以前に、建物の設計段階で課題があると思う。国立劇場の建て替えが予定されているが、まさか文化芸術の殿堂の新築が包摂性に欠けることにはならないでほしい。</p>
<p>あらかじめ多様な人の存在とニーズを想定し、構えておくことは商売上の強みになる。しかし普段視界に入らないものは忘れられていく。結局、日本社会は障害者に慣れていない。様々な障害者を街で見かけること、慣れること、障害者が出かけやすい社会であることはつながっている。自国にネガティブな歴史よりポジティブな歴史がある方がうれしく誇らしいのは私もあなたも同じだと思う。「誰でもトイレ」とか「点字ブロック」とか、バリアフリーで日本が誇れる部分はたくさんある。将来の子どもたちが日本人としての自己肯定感を高められるように、誇れる日本をいっしょに作っていこうじゃありませんか。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3431</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3431/" />
	</item>
		<item>
		<title>ひと　吃音当事者によるバンドを率いる大学生　喜多 龍之祐さん₍19₎</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3429/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3429/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 22 May 2026 23:56:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3429/</guid>
		<description><![CDATA[朝日新聞　2026年5月12日 中学2年、生徒会長に立候補。演説会冒頭、名前で詰まって笑いが起きたが「僕には吃音があって…」と語り始めると雰囲気が変わった。「言葉がうまく出てこなくても思いは伝わる」。当選して自信になり、転機となった。 高校1年のとき、吃音のある若者が接客する「注文に時間がかかるカフェ」が自宅近くで開かれ、スタッフとして参加した。ここでの出会いをきっかけに、音楽好きの5人で「コンマニア～吃音を持つ学生による音楽団」を結成、打楽器を担当し代表も務める。 歌っているときは吃音が出ないと感じている当事者は多い。音楽を通じて多くの当事者とつながりたいと、1日限定でメンバーを募る「どもロック」を企画、昨年11月に都内で1回目を開催。「いつか僕も参加したい」と高校生に声をかけられた。 大学では音楽神経科学の研究室に入り、吃音と音楽との関係を研究している。「歌で症状が治まるのを『神様からの贈り物』と受け止める人もいる。治療法に結び付けられないかと考えている」]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞　2026年5月12日</p>
<p>中学2年、生徒会長に立候補。演説会冒頭、名前で詰まって笑いが起きたが「僕には吃音があって…」と語り始めると雰囲気が変わった。「言葉がうまく出てこなくても思いは伝わる」。当選して自信になり、転機となった。</p>
<p>高校1年のとき、吃音のある若者が接客する「注文に時間がかかるカフェ」が自宅近くで開かれ、スタッフとして参加した。ここでの出会いをきっかけに、音楽好きの5人で「コンマニア～吃音を持つ学生による音楽団」を結成、打楽器を担当し代表も務める。</p>
<p>歌っているときは吃音が出ないと感じている当事者は多い。音楽を通じて多くの当事者とつながりたいと、1日限定でメンバーを募る「どもロック」を企画、昨年11月に都内で1回目を開催。「いつか僕も参加したい」と高校生に声をかけられた。</p>
<p>大学では音楽神経科学の研究室に入り、吃音と音楽との関係を研究している。「歌で症状が治まるのを『神様からの贈り物』と受け止める人もいる。治療法に結び付けられないかと考えている」</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3429</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3429/" />
	</item>
		<item>
		<title>「特別」なら許されるマイノリティー</title>
		<link>http://www.we-can.or.jp/p/3427/</link>
		<comments>http://www.we-can.or.jp/p/3427/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 20 Mar 2026 07:56:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>can</dc:creator>
				<category><![CDATA[情報ファイル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.we-can.or.jp/p/3427/</guid>
		<description><![CDATA[朝日新聞　2026年2月17日 〈寄稿〉近藤銀河さん（アーティスト） 高市早苗首相のSNSの投稿は衝撃的だった。彼女の夫のために公邸がバリアフリーに改装された、という報道を受け、それを否定し「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私たちは公邸に引っ越しません」としていた。健常者に対して気を使い、マイノリティーが堂々と主張できるはずの（けれど批判を浴びる）権利を引っ込める姿勢は、私の日常で選びたくないのに繰り返し浮かび上がってくる選択肢だった。それを政治のトップが口にしている。 外出に車いすを使っているとたくさんの善意に出会うけれど、時には善意を断らないと自分を守れないことがある。よく遭遇する例が、長い階段で「背負ったり車いすを運んだりできるよ！」という申し出だ。運んでもらったり、背負ってもらったりすることは強い身体的労作を伴う。車いすだけ運んでもらって、自分は時間をかけて這うように登らないといけないこともある。そうした善意を受け入れた後、私は人知れず数日、時には1週間ほど倒れこむ。そしていつも悩む。取れば自分が痛みを背負うことになる、差し伸べられた　優しい手をどうすればいいのかと。悩むのは怖いからでもある。断ればその人はもう自分を相手にしなくなるのではないか、社会からパージされていくのではないか、と。 あるいは、自分が行かないだろう会議が階段を上らないと到達できない場所で開かれるのを知った時。出席しないのだから何も言わなければいいのかもしれない。私の権利にも傷にも蓋をして無視しよう。でもそれでは主催者たちの意識は変わらない。あとに続く人がまた苦労する。どうしよう。 マイノリティーはこうした場面に何度も直面し、何度も悩む。そして、社会はこうした悩みに冷たい。高市氏の投稿はそれを象徴し、社会のあり方を思い出させてくれる。強く支持される政治家が示すマイノリティーの姿は、マイノリティー性以外では徹底的に規範に従順な姿だ。それは明白なメッセージとなる。「あの人は○○だけど、他の○○とは違い、特別だからいいんだよ」と言われるような存在。マイノリティーはそれを目指して努力せよ、と。 私もそうした声に日々、従おうとしてしまい、そんな自分に愕然とする。なぜそんなに健常者と同じように振る舞おうとしているのか。マジョリティーにとってあるべき姿を守るマイノリティーになるのか、そこから動き出してさらに社会の規定から外れた「マイノリティーの中のマイノリティー」になるのか。私はいつも悩んでいる。健常者が想像する障害者増の内側に踏みとどまる限り、私は迷惑をかけないから許される存在としてのみ許容される。「何も気にしなくていいです。大丈夫です」と言い続ける限り合理的な調整はなされない。後に続く人もまた苦しむことになる。だから、いつも吐きそうになりながら少しだけの勇気を出して、物申したり出来ないと断ったりする。頑張らないで社会に存在するために頑張る。なんてむごい矛盾だろう。でも特別でなくても生きられるために今はそうするしかないと歯を食いしばる。 荒れ野のような選挙が終わった。「特別な」マイノリティーは圧倒的な支持を受け、マイノリティーの葛藤に行き場はなく、いやそもそも選挙の枠組みの中にさえ入っていなかった。同性婚を否定し、発達障害の存在を否定し、外国人を排斥する政治家たちに、無視され、時に実態とかけ離れた戦いに引きずり出され、見せ物にされただけだった。それは政治的争点でさえない。こうやって支持された政治家によって、法律が作られ、政策が進められてゆく。私は葛藤しながら、悩みながら、つらいけど勇気を出して「マイノリティーの中のマイノリティー」になって、より一層はみ出していくのだ。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞　2026年2月17日</p>
<p>〈寄稿〉近藤銀河さん（アーティスト）</p>
<p>高市早苗首相のSNSの投稿は衝撃的だった。彼女の夫のために公邸がバリアフリーに改装された、という報道を受け、それを否定し「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私たちは公邸に引っ越しません」としていた。健常者に対して気を使い、マイノリティーが堂々と主張できるはずの（けれど批判を浴びる）権利を引っ込める姿勢は、私の日常で選びたくないのに繰り返し浮かび上がってくる選択肢だった。それを政治のトップが口にしている。</p>
<p>外出に車いすを使っているとたくさんの善意に出会うけれど、時には善意を断らないと自分を守れないことがある。よく遭遇する例が、長い階段で「背負ったり車いすを運んだりできるよ！」という申し出だ。運んでもらったり、背負ってもらったりすることは強い身体的労作を伴う。車いすだけ運んでもらって、自分は時間をかけて這うように登らないといけないこともある。そうした善意を受け入れた後、私は人知れず数日、時には1週間ほど倒れこむ。そしていつも悩む。取れば自分が痛みを背負うことになる、差し伸べられた　優しい手をどうすればいいのかと。悩むのは怖いからでもある。断ればその人はもう自分を相手にしなくなるのではないか、社会からパージされていくのではないか、と。</p>
<p>あるいは、自分が行かないだろう会議が階段を上らないと到達できない場所で開かれるのを知った時。出席しないのだから何も言わなければいいのかもしれない。私の権利にも傷にも蓋をして無視しよう。でもそれでは主催者たちの意識は変わらない。あとに続く人がまた苦労する。どうしよう。</p>
<p>マイノリティーはこうした場面に何度も直面し、何度も悩む。そして、社会はこうした悩みに冷たい。高市氏の投稿はそれを象徴し、社会のあり方を思い出させてくれる。強く支持される政治家が示すマイノリティーの姿は、マイノリティー性以外では徹底的に規範に従順な姿だ。それは明白なメッセージとなる。「あの人は○○だけど、他の○○とは違い、特別だからいいんだよ」と言われるような存在。マイノリティーはそれを目指して努力せよ、と。</p>
<p>私もそうした声に日々、従おうとしてしまい、そんな自分に愕然とする。なぜそんなに健常者と同じように振る舞おうとしているのか。マジョリティーにとってあるべき姿を守るマイノリティーになるのか、そこから動き出してさらに社会の規定から外れた「マイノリティーの中のマイノリティー」になるのか。私はいつも悩んでいる。健常者が想像する障害者増の内側に踏みとどまる限り、私は迷惑をかけないから許される存在としてのみ許容される。「何も気にしなくていいです。大丈夫です」と言い続ける限り合理的な調整はなされない。後に続く人もまた苦しむことになる。だから、いつも吐きそうになりながら少しだけの勇気を出して、物申したり出来ないと断ったりする。頑張らないで社会に存在するために頑張る。なんてむごい矛盾だろう。でも特別でなくても生きられるために今はそうするしかないと歯を食いしばる。</p>
<p>荒れ野のような選挙が終わった。「特別な」マイノリティーは圧倒的な支持を受け、マイノリティーの葛藤に行き場はなく、いやそもそも選挙の枠組みの中にさえ入っていなかった。同性婚を否定し、発達障害の存在を否定し、外国人を排斥する政治家たちに、無視され、時に実態とかけ離れた戦いに引きずり出され、見せ物にされただけだった。それは政治的争点でさえない。こうやって支持された政治家によって、法律が作られ、政策が進められてゆく。私は葛藤しながら、悩みながら、つらいけど勇気を出して「マイノリティーの中のマイノリティー」になって、より一層はみ出していくのだ。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.we-can.or.jp/?feed=rss2&#038;p=3427</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.we-can.or.jp/p/3427/" />
	</item>
	</channel>
</rss>
